山根12)『福翁百話が説く「人間の使命」について・・・14号

                              福翁百話が説く「人間の使命」について

                                                                       山根 昭郎 (1975 法卒)

前号二回に亘って、福翁百話では、宇宙についてどのよう説いているのか、考察してきた。諭吉は、その宇宙の摂理の下で、いよいよ、人間の役目とは何かについて論を重ねていく。

◆諭吉の宇宙観

繰り返しになるが、一言で言えば諭吉は、宇宙とは人知では測り知ることが出来ない、広大な存在であり、寸分の狂いもなく動いている、緻密にして大いなるからくりであると断じている。さらに人間は、この世界に在って、心身の自由を楽しむとともに、宇宙・自然にあるものすべては、人間が活用できる材料であり、それらを役立て、うまく間違わずにやり遂げれば、将来、理想的な時代が来るかも知れないと、未来についてポジティブな考えをも述べている。

しかし、一方で、どれだけ文明の進歩が進もうが、宇宙の根源や地球の始まりや、宇宙の仕組みについて完全につきとめることは容易ではないだろうとも言い放つ。

しからば、人間はなにを以てその使命を心得るべきなのだろうか。

◆「造化と争う」(第十七章)

造化(ぞうか)とは、万物を「創造化育する」という意味から出た言葉で、「天地の間の万物が生々流転しながら永遠に存続する作用ないし働き」のことを言うのだそうである。諭吉は、第十七章で「造化と争う」と題し、宇宙の万物と争うことこそが人間の使命であると述べている。

諭吉は言う。『人間は万物の霊長であり、言うなれば尊厳を備えたものであると「心の働き」によって認識する』と。そして次のように続けている。

「扨(さて)人間を霊妙至尊の者なりと決定する上は其の位に相應するだけの働きなきを得ず。その次第を語らんに凡そ人間の衣食住は天然に生ずるものに非ず。天の恵みなりと云ふも一方より見れば天は唯(ただ)約束の固きのみにして天然の物はあれども之に人の力を加へざれば人の用を為さず」【さて、人間を極めて尊い存在だと定めるからには、その地位にふさわしい働きがあるべきだ。順を追って語るに、およそ人間の衣食住は自然に生じるものではない。天の恩恵は大きなものではあっても、別の方から見れば、天はただ法則が不変であるというだけで、自然の産物はあってもそれに人間の力を加えなければ人の役に立つものではない。】

考えてみれば、地球上で人間は、天然の物を使って衣食住を作りだしている唯一の存在である。天は唯一不変である自然物理の法則と自然の産物を提供しているだけで、その産物に人間が自分の働きを加えることによって、自分の用に役立てることができる。これを諭吉は次のように例える。

「穀物も、土を耕し種を蒔いて、手入れをしなければ枯れてしまう。自然は、時に過酷な試練を人間に与える。人間は知恵を絞って、自分の生活を護るため、衣食住を確立していかなければならない。」

「一方、天は秘密を守って、人になかなか容易にその秘密(真理)を教えてはくれない。天は、人間を病気で苦しめながら、その治療法を簡単には人間に授けない。」「蒸気や電力なども、世界の歴史が始まって以来、長い間秘密であったものが、近年やっとその一端が明らかになったものであった。」

◆諭吉の持論

「造化と争う」こととは、「天の秘密を捉まえること」である。決して容易ではないが、天の秘密を捉まえることこそが人間の使命である。しかし天は優しくない、むしろ意地悪である。その天の秘密を探り出して、明らかにして、自分のものとする、そうやって、一歩一歩、人間の領域を広くし、この世界の快適さや喜びを大きくしていくことこそが人間の使命であると主張する。

別な言い方では、「天の秘密をつかまえることが文明開化である」と言っている。従い、物理学・科学の意義は、ただこの一点にある。そして次のように言って、この章を締めくくっている。

「現代は、人間の知識が進み、文明が最高に発展した時代と言われてはいる。しかし、これから先、五百年経ち、五千年経っても、天の力は無限であり、その秘密には限りがないものである。人間の役目は、天の秘密をひとつひとつ探り、捉まえるために、永遠に格闘し続けることに他ならない。」

(了)

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