杉本6)学問をするということ・・・(8号)

      「学問をするということ 」

           ~活用亡き学問は無学に等し『学問のすすめ』12編より

                              杉本 知瑛子(H.9、文・美卒)

 「諭吉倶楽部」は会報発行以外に、年3回位初心者数名で読書会を行っている。

読書会ではやっと『福翁自伝』を終了して、9月から『学問のすすめ』に入っている。

「~『学問のすすめ』は福澤自身が“子どもにも理解できるように書いた”と言っているくらい、極めて理路整然、趣旨明確でわかりやすい文章です。表現もユーモラスで、笑いを誘われるところがたくさんあります。~」(斉藤 孝:NHKブックス)と解説されているように『学問のすすめ』は福澤の信念に基づいて書かれた初めての思想書である。

明治5年(福澤37歳)初編が刊行された半年後には、政府により「国民皆学」の方針も打ち出され、小学校の教科書に掲載されるなど、その影響は非常に大きかったということは、たいていの方ならご存知のことと思う。

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」といへり。~されど~    (初編)

もちろん、冒頭のこの文は人間の平等を説いたわけではなく、人間は学問をするかしないかに

よって大きく差が付く、だから頑張って学問をしなさいと厳しい競争原理を説いたものである。

では『学問のすすめ』の中ですすめた「学問」とはどのようなものだったのか?

世帯も学問なり、帳合ひも学問なり、時勢を察するもまた学問なり。なんぞ必ずしも和漢洋の

 書を読むのみをもって学問といふの理あらんや。              (第2編)

(実生活も学問であって、実際の経済も学問、現実の世の中の流れを察知するのも学問である。和漢洋の本

を読むだけで学問ということはできない)『現代語訳 学問のすすめ』斉藤 孝著より

福澤がすすめたのは、人々の暮らしや仕事に役立つ実践的な知恵、いわゆる「実学」である。

ここまでは誰でも知っていることである。

慶応には普通一般の学生が在籍する通学課程に対し、通信教育課程在籍という学生が存在する。

通信教育課程の入学許可は書類選考のみだから、宣伝なしでも学生数は凄まじく多いらしい。

しかし、入学は容易でも卒業は極めて困難である(学士入学者の多い現在でも、卒業に至る割合は入学者の3~4%であるという)この慶応義塾の通信課程こそが、敗戦後の混乱期の昭和23年に、福澤諭吉創業の精神に則り、全ての人に開かれた大学教育の場として創設された“福澤精神の象徴”なのではないかと私は考える。(昭和25年に新制大学通信教育部としての認可を受けている)

慶応義塾大学通信教育課程の凄いところは、

①学費が極端に安いこと。

何万人という在籍生全てが、大学から高額な奨学金を与えられているのと同じである。

②在籍期間が無期限であったということ。(現在は12年)

卒業できなくとも働きながらの勉強続行が可能である。(44年在籍後卒業の方もおられた)

③通信教育課程の専任教員という方が存在しないということ。(現在も)

リポートの講評採点やスクーリング授業はもとより、各地の学生会に対する講師派遣や講演会  まで、全て学部または大学院の先生方であるということ。(教授クラスの先生方が多い)

④卒業証書は通学課程と同じ表記。(塾員としての扱いも一般卒業生と差別はない)

日本では極めて奇妙な、お金儲け(大学経営)を無視したような慶応の通信課程創立の意義は、

まさしく日本国敗戦による未曾有の混乱と貧困の中で「一身独立して一国独立す」⇒「学問の奨励」という福澤精神の継承の具現化にあったとしか考えられない。

わが日本国人も今より学問に志し、気力を確かにして、まず一身の独立を謀り、したがって一国の富強を致すことあらば、なんぞ西洋人の力を恐るるに足らん。道理あるものはこれに交わり、道理なきものはこれを打ち払はんのみ。一身独立して一国独立するとはこの事なり。  (第3編)

(わが日本国民も、いまから学問に志し、しっかりと気力を持って、まずは一身の独立を目指し、それによって一国を豊かに強くすることができれば、西洋人の力などは恐れるに足りない。道理がある相手とは交際し、道理がない相手はこれを打ち払うまでのこと。一身独立して一国独立する、とはこのことを言うのだ)

『現代語訳 学問のすすめ』斉藤 孝著より

明治5年『学問のすすめ』初編が刊行された明治維新の頃と違い、昭和20年という敗戦時の日本では、それでも依然として小学校から大学までの教育制度は機能していた。

自分の仕事に役立つ「高レベルの実学」は学校だけで身につくものではないが、世間や企業で認知された教育制度で本人の仕事や将来性が左右されるとなれば、『学問のすすめ』の学問奨励は、とりあえず大学卒業の資格取得の奨励とならざるを得なかったであったろう。

日本国民全てが敗戦時の混乱と貧困に今日一日を生きるだけが精一杯の時、慶応はそんな日本の人々に、働きながらでも名門私学慶応義塾大学の学生として勉学出来る道を開いたのである。

現代のように奨学金や児童手当、生活保護など考えられない時代であった。

戦争や空襲又食料不足や貧困の中、親や夫を無くして生きていた人々もたくさんいたであろう。

福澤の生きた明治維新と太平洋戦争に敗れた1945年は、近代日本史の中でも最大といえる日本人の精神的な転換期であり、国民全体が精神構造を一から変えねばならなかった時期でもあった。

福澤精神は、貧しい日本で多くの有能な若者に慶応という大学への門戸を開いたのである。

現代において学歴社会から実力主義社会へという変動はあっても、一般の人々にはまだ大学卒業という経歴は実力主義社会(就職)へのスタートラインに立つ事であると考えられている。

故にか、卒業証書取得のためだけに(奨学金を利用して)安易に様々な大学に籍を置く勉強嫌いの学生が多く存在するのも、現代の「実学」実践といえるのであろうか。

学問とは自分でするものである。

師からは助言を得るためだけに師事すると考えるべきである。

(一から十まで学校の先生に教えられて学び終えられるような簡単な学問は存在しない)

又、自分自身でする学問には終わりという限界はない。

学校とは、学生に卒業証書を授与するために最低限の学問を教える場所である。

だから、そこでの卒業とは次のステップへのスタートラインに立てるということだけである。

福澤先生が学問を始められたのは14~5歳と遅かったが、20歳で適塾(緒方洪庵に師事)に入所されるまでに読破された書物の量は尋常ではない。

適塾入門後も化学、科学、物理学など多方面に亘って学ばれ、2年後の22歳で塾頭となられた。

先生が『学問のすすめ』で奨励されている学問=“社会(自分の仕事や実生活)で役立つ「実学」”とは、小学生レベルの人でも理解できるようにと記述されたことで、ご自身は凄まじい量と多方面に亘る分野の学問研究をされていたのである。

少なくとも小中学生ではない我々、やはり“学問をするということ”とは今役に立つのみでなく、将来に亘り役に立つ幅広い分野の学問をも“実学”として学ばねばならないようである。 (完)

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