天川貴之(47号):哲学随想6「涅槃の美学と倫理学について」

【哲学随想】

         「涅槃の美学と倫理学について」

                         天川貴之 (平成3年 法 卒)

 

人間というものは、必ず死を迎えるものである。死を考察することは、哲学者のなすべきことの一つであるが、その死というものが、本来の静かな諦観に裏うちされた涅槃の輝きに彩られている時には、それは、もう少し、月の輝きのような明るさと希望と勇気も加味されているような姿に観えてゆくものである。ソクラテスの死も、どこか涅槃を思わせるような静謐さがある。

日本では、西行の死であっても、その釈迦の涅槃と桜の咲く頃を一致させた短歌には力はあるが、しかし、それを現実に生きておられる所に、西行の歌の神秘性を感じざるを得ない。西行は、一つの歌を創ることは一体の仏像を創ることと同じであり、一つの真言を唱えることと同じであるから、大切に創らなければならないと明恵上人に語られたそうであるが、この伝説は、二人の生涯と歌に象徴されているのかもしれない。

明恵上人や良寛のような歌は、確かに百人一首には入っていないけれども、日本人の心の奥に深い文化的影響を与えてきたといえるし、二人共が歌人でもあったということが、そこに、私は、代表的日本人の一人の後ろ姿を拝見するものである。この明恵上人が釈尊を心から慕われていたことは伝説となっているぐらいであるが、それは、良寛であっても、西行であっても、あるいは、西行を慕った東行(高杉晋作)でさえ、同じような心をもっていたのではないかとも思われる。

釈尊の御心は星のように広く、深く、高く、その法門には、誰一人拒まれることはない、徹底した慈悲があられるように思える。釈尊の涅槃の御様子であったとしても、それは悲しみを伴うものであるが、あらゆる情欲を解脱しているが故に、悲しみを超越していて、静かで、穏やかで、優しく、美しい。

また、三十三歳で命を天に捧げた坂本竜馬も、よく考えてみると、あの藤の花の短歌を遺している歌人でもあることであるから、仏典についても慧眼のあったであろうことは、間違いないであろう。実際に竜馬について考えてみると、その慧眼と慈眼に眼がいってしまうのであるが、勝海舟と意気投合した竜馬の心に仏典の理解が少ないはずがないとも思われるのである。坂本竜馬の死も、日本国と世界の歴史を実際に変えている、いわば青春の涅槃像でもあるのだろう。

しかしながら、竜馬の亡くなった年齢を過ぎて、四十歳以降になってさらに、より仏典の真価の厚みは増してゆくのではないだろうか。釈尊の思想は、青春の輝きの向こうに、さらに、より成熟した思想が幾つも出てくるようなものではないだろうか。

もし、ということはないのかもしれないが、竜馬が四十歳以降の年齢になれば、もっと自由自在に仏語を駆使されて老成されたのではないかとも思う。確かに、もともと「自然堂」という号なので、どちらかと言えば老子型の晩年であったかもしれないが、しかしながら、彼の独自性はより究まってゆかれたであろうから、彼独特の涅槃思想を自ら実践されたことと思う。

桜の咲く頃のすぐ後には藤の花も咲くが、その時に竜馬の後ろ姿をつい思い出しながら、何故か西行の涅槃についても考えを巡らすのであった。西行も、明恵も、定家も、同時代の方であり、交流もあったというが、日本文化は、この時代にも涅槃の文化を持ったのではないだろうか。

「共に生きて共に死す」とは或る日本人の言霊であるが、その死は、或る意味で釈尊の涅槃のようであってほしいし、西行や明恵の涅槃のようであってほしいとも思う。また、ソクラテスの陽気で雄弁な信念と瞑想は、死の現実を前に、より静澄であったのであろう。

釈尊も、死の現実を前に、より静澄に、理法を説かれていて、その一つ一つの思想と言動に、慈悲と智慧がにじみ出しているように思われる。この釈尊の涅槃にあたっては、人々は、神々は、悲しみの中で悲しみから解脱していたという。そこには曼珠沙華の華が咲き、神々からは華々が捧げられたという。

そもそも輪廻から解脱され、迷いの生存から解脱されている釈尊は、本来の天界へと帰天されてゆくのであるが、その後に建てられたストゥーパ(仏塔)は、それを観て人々の心が清らかになり、死して後、天上界に帰天されるように創られたと、仏典にはつづられている。

仏典の中には、ありありと魂が実在して、ありありと活きており、善く生きることを探究しているが、この釈尊のように、生死を解脱されている方の死や、生死を解脱しようとして修行してきた方々の視線というものは興味深い。それは、鬼も竜も涙したといわれるくらいであるから、人々の心も涙したのであろう。しかし、その涙の清々しいことであることよ、とも偲ばれる。

阿羅漢の涙とは、法雨でもあろう。諸菩薩の涙とは、慈雨でもあろう。その慈悲は、山川草木、禽獣に到るまでと言われるぐらいであるから、それは、どのような人間にも向けられていたのではないかと思われる。それは、たとえ形の上では罪人のように観える方にも注がれるものであり、親鸞のような方が述べておられるように、その徹底した慈悲を、よくよく諦観しておかなければならない。

慈悲の心というものは、本来、全ての方が持っている仏性であり、神性であり、又、実践理性、指導理性でもあり、良心でもある。この良心の声とは、常に慈悲の声ではなかったのであろうか。よくよく自らを省みてみても、我々の心の内には、確かに、慈悲の声が、良心の声、仏性の声として、常にどのような現象の立場に置かれようとも、あるはずなのである。

またさらに、「慈悲喜捨」という言葉もあるが、慈しみの心、悲しみの心、喜びの心、捨てる心、その言霊の本来の実相、真相というものを自ら実感し、実践してゆかなければならない。

JDR総合研究所・代表

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