山根24 )交友抄(その三)・・・26号

               交友抄(その三)

山根 昭郎 (1975 法卒)

在学中、慶應スイミングクラブ同好会に所属していました。そのOB懇親会が、3月初めに開かれるとの連絡が来たのが昨年の10月下旬のことでした。同期の友人から電話があり、伊東小涌園での一泊旅行を兼ねて、ゆっくりと風呂に浸かってから宴会を行うとの趣向を伝えてきました。もちろん参加の旨伝えたのは言うまでもありません。

ちなみに慶應スイミングクラブへの入部は、この交友抄(その一)で綴ったK君とも知り合う契機となったもので、彼とは卒業後、40年を経て昨年再会を果たすことに至ったひととのつながり、奇遇のなせる業の顛末は記述した通りです。(しかしK君からはこの懇親会には仕事の都合で参加できないとの連絡を受けたことは残念なことでした。)

さてOB懇親会の連絡を受けた時は、翌年の話でずっと先のことだと思っていましたが、年が明けるや瞬く前に時は過ぎて当日がやってきました。他のメンバー一行は東京駅で待ち合わせて来る中、私だけは自宅から車で現地に駆けつけました。途中の道路はそれほど混んでなく、海岸沿いに走る道から美しい景色を見ながらのドライブとなりました。

今回このOB懇親会に参加するのは初めてです。現役時代は海外に駐在したり、関西勤務があったり、仕事が忙しく都合がつきませんでした。卒業して40数年ぶりに再会する人たちがほとんどです。ホテルロビーで待っていると、ホテルのバスが到着し、他の参加者が降りてきました。中にはどうしても顔と名前が分からない人が数人いました。もちろんすぐに分かる顔もいます。懐かしさがこみ上げてきます。皆40年を経て年輪を重ねています。それは向こうから私を見ての感想でもあったことでしょう。

中でも再会を楽しみにしていたN君の顔がありました。彼は学生時代から陽気な人柄で、同期の中でもとりわけ一緒に遊んだ仲でした。彼の自宅に泊まったこともあります。彼は子供の頃から習っていたピアノがたいそう上手で、華麗な演奏を聴かせてくれたものでした。友人と二人で練馬の彼の家に泊まり、次の朝早くに三人で慶早戦に行こうと言っていながら、夜遅くまで騒ぎ過ぎ、次の朝起きられずに神宮行きを逃したことも今となっては笑い話です。

さてホテルでは数人毎に部屋に分かれ、入浴後、6時から宴会との運びになる予定でした。しかしここで予期せぬアクシデントが起こります。同室になったN君が部屋に到着早々、腹痛を訴え、しばし部屋で横になっていたのですが、小一時間たっても痛みが収まりません。結局、救急車を呼んで急遽近くの病院に担ぎ込まれることになってしまい、そのまま入院することになってしまいました。宴会開始を遅らせたものの、結局彼の参加は出来ないままに、やや白けたムードが漂う中、乾杯が始まったのでした。

とは言え、お酒や食事が進む内に雰囲気は高まり、宴はたけなわとなり(N君には気の毒ではありますが)、一人一人が近況を報告し、二次会はホテル内のバーでカラオケ大会となり、学生時代の昔に戻ったような時間を過ごすことが出来ました。

さて、後日談です。N君からは数日後にメールをもらい、宴会に参加できず本当に残念だった、退院後いまは元気に仕事に復帰しているとの連絡をもらいました。今年の秋頃にはまた違う趣向でOB懇親会が開かれる見込みとのことです。そのときこそN君とは元気に会いたいものです。

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