山根23 )交友抄(その二)・・・25 号

              交友抄(その二)

山根 昭郎 (1975 法卒)

はるかバンコクの土地で、タイの人と慶應義塾を介した出会いがありました。

話は昨年6月、家内と一緒に数年ぶりにバンコクに旅行したときから始まります。実は私にとって、バンコクは会社員時代2001年から2005年にかけて赴任していた、第二の故郷とでも言うべき土地です。

奇遇なことに、そのバンコクに長男が昨年1月から駐在することになりました。いや、奇遇とは言いましても、昨今のタイと日本との経済的紐帯や日-タイ国間での頻繁な人の往来を鑑みれば、親子二代がタイ駐在に与るのは必ずしも珍しいことではなくなったかも知れません。いずれにせよ、息子の駐在を奇貨として、我々夫婦も我が子の生活ぶりや、最近のバンコクの発展の様子を視察がてら出かけたというわけです。

さて、バンコク特有の粘っこいような暑さの中、日々を過ごしていたある日、食事に招待されました。それは、駐在員時代、一緒に働いたタイ人が、我々夫婦を市内レストランに招待してくれたのでした。そこにはかつての部下たちが、それぞれの家族を連れて待っていてくれました。

その内のひとりは長女を連れてきていました。その娘さん仮にFさんと呼びます。Fさんは日本語を習っているとのことで、Fさんとの会話は日本語を交えながらも英語を主体としておこない、ときどき私が知っているタイ語を発して笑いを誘ったりしました。

ところで、よくよく話をしていく内に、Fさんは9月に日本に留学する予定とのこと。「ああ、だから日本語を習っているのだね。一体どこの大学に留学するの。」と尋ねたところ、彼女の口からでた答は次の通りでした。

「ケイオーです。しってますか。」

「いやいや知るも知らないも、僕も慶應の卒業生だよ。」と、一挙に話が盛り上がり、最後には「日本に来たらいつでもヘルプするし、困ったことがあったら言ってきなさい。サポートするから任せなさい。」などと先輩風を吹かす有様でした。

それから2ヶ月ほどが過ぎ、8月下旬タイ人母娘が来日しました。来日前には、メールでやりとりをし、いろいろと相談にも乗り、幸いにもFさんの居住先は日吉にある、手頃なアパートが見つかったとのことでした。

8月の終わりの日曜日、日吉の大学前で母娘と落ち合い、私が運転する車に乗せて、三田キャンパスにお連れしました。夏休みで学生もまばらで閑散とした中庭を歩き、大銀杏の前や図書館の前で写真を撮ったりしました。図書館はあいにく大修理中とのことで、敷地には無粋なフェンスが巡らされており、優美な姿を見ることが出来なかったのはまことに残念でした。

さてFさんはいまも元気で矢上台に通学しています。ときどき音信をとり無事を確認しています。妙蓮寺にある、知り合いのドイツ人とタイ人の奥さんが経営するタイ料理店の催しに誘ったり、近々、English Caféという慶應卒業生が中心となっている集まりがあるのでFさんにも声をかけています。

実はあとで分かったのですが、Fさんは理工学部の大学院で数学を勉強しているのだそうです。これは勉強のサポートはできないな、と思った次第でした。

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