杉本9)交詢社とシューベルティアーデ(3)・・・(12号)

   〔交詢社〕と〔シューベルティアーデ〕(3)

                           杉本 知瑛子(平成9、文・美 卒)

前回は「歌曲の王」と讃えられているシューベルトの“うたものがたり”(歌曲集)『美しき水車小屋の娘』と『冬の旅』において、その作品の構成や特徴から内在している思想(精神)を少し考えてみたが、今回はそこから少し分け入って、シューベルトが彼の友人達(シューベルティアーデの仲間達)から受けていたであろう影響の根拠を具体的に述べてみたいと思う。

     *シューベルティアーデに参加していた人々やシューベルトが関係した事件

(1)「ルートラム洞」への参加

「ルートラム洞」とは1816年頃結成された、詩人・音楽家・画家・学者などウィーンの知識人による夕食会のグループである。

この集会には、ベートーヴェン・ウェーバー・サリエリ・グリルパルツァー・リュッケルトなども参加していた。シューベルトも所属していたが、1826年4月誤解がもとで警察に摘発され解散したのだが、シューベルトもその時逮捕されかかっている。

(2)友人ゼンの事件

1820年春、シューベルトの友人ゼン(詩人)が学生集会において、官憲の捜索に際して自分の書類に触れさせようとしなかった時、そこに居合わせたシューベルトが名誉毀損だと騒いだので、反国家的行為のかどで逮捕された。彼はすぐ釈放されたがゼンは禁固14ヶ月の罪になった。

シューベルトはその後ゼンと再会はしなかったが、2人が連絡を取り合っていたことは、ゼンの詩による「幸福の世界」“Selige Welt”(D.743)、「白鳥の歌」“Schwanengesang”(D.744)の2つのリート(歌曲)があることで明らかである。(1822年作曲)

この事件に巻き込まれたシューベルトは以後、警察のブラックリストに載せられている。

ゲオルク・R・マレクが言及した1829年9月19日の記録では、ウィーンの警察署長ゼードルニツキー伯爵が皇帝に対して、長年学校教育に携わってきたことを讃えて、フランツ・シューベルトの父親に金メダルを授与しようという計画をやめるように提言している。このことは当時の反動的国家体制にとって不穏に思えたシューベルトの政治的態度が父親の出世の障害となった例としてみることができるであろう。 一般的に思想や政治とは全く無関係であり無関心(無知)であったと考えられていたシューベルトであるが、少し調べるといろいろ政治的にも関与していた事件が浮かび上がってくる。音楽家としてのシューベルトは、たとえ自分の意思で思想や政治問題を学ぶことをしなかったとしても、友人達を通して、またシューベルティアーデや「ルートラム洞」などでの会話から当時の最新の知識を得ていたことは充分に推察することができるのである。

それではこういった事件から可能な推察や無意識下での影響ではなく、それらが音楽そのものに与える影響を思想に求める時それは非常に難しいと言わざるをえないのだが、幸いなことに彼は“歌曲の王”と賞されその短い生涯に約600曲もの歌曲(珠玉の名曲も多い)を作曲している。では歌曲と他のピアノ曲や器楽曲と何が違うかといえば、演奏楽器がピアノと人間の身体であるという以外に、音楽が文学作品に内在されている思想(例えば情念)から完全に自由になることができないということである。

ならば歌曲ほど分かりやすく思想(文学作品・音楽作品)を表現できる音楽はないともいえるのではないか。前回『水車小屋の娘』と『冬の旅』について簡単な考察をしたが、その時“うたものがたり”(歌曲集)『水車小屋の娘』と『冬の旅』について、『水車小屋の娘』の一連の物語(恋物語)に対して『冬の旅』には連続的な物語性がないのは何故か、という問を残した。『冬の旅』第1曲目が始まる前に主人公の恋物語は終わっているのである。『冬の旅』はそこからの出発である。登場人物は主人公と自然(時には主人公の内面世界を象徴する)だけである。連綿と続く嘆きの歌、それをシューベルトが全精力を費やして“うたものがたり”としなければならなかった必然性とはいったい・・・?

 

『冬の旅』は、歌としては朗唱風の極めて単純な曲であるともいえるが、それ故にこそこの作品の詩的世界がより明確に意識され、全体としてみればこの曲は高度な統一を持った楽想、いわば内面的なもの・心理的なもの、で統一されている“うたものがたり”と考えられる。たとえ、シューベルトが意識してもしなくても『冬の旅』はシェリングの「一元論」、つまりロマン主義思想を音楽で表現したものであると考えることができる。(内容が飛躍してしまった。全24曲の詳細な楽曲分析によりこれらの事実を明確に証明できるがあまりに専門的になるので省略した)

『冬の旅』の楽想の基本は諦念であると考えられるが、それは『冬の旅』全体を楽園幻想を表現した1つの牧歌としてみれば明らかである。幸せな過去と厳しい現実、そして希望の無い未来が繰り返し歌われてゆく『冬の旅』。ゲーテの言葉を借りて言えば、個々の曲は思うようにならない現実に執着し嘆声を発するような“部分的諦念”であるが、全体を通してみると、凍りついた心の象徴としての『冬の旅』は、最後の「辻音楽師」(Der Leiermann)の存在により現実否定の精神は無くなり、むしろ客観的にさえなっている。それは無常なものの観察によって、人間として必然的なるもの・永遠なるもの、の確認に至る“全体的諦念”の音楽になると考えることができるのである。

それは「辻音楽師」での動きの無いドローン(辻音楽師が持つ楽器)の響き(ヴェルクマイスター音律では702セントの純正で単調な美しい響きとなっている)のなかで、シューベルトは主人公の諦念を表現したのである。純正で単調な響きは主人公を部分的諦念のような主観的で感情的な嘆きの中には置いていない。主人公は客観的な目で、絶望の象徴のような辻音楽師を見ているのである。そして、その気持ちを702セントのドローンの響きが我々に伝えてくれるのである。しかし、それは急に全体的諦念になったわけではなく、「辻音楽師」に至る以前の曲で主人公の主情的であった諦念は変化しているのである。(第20曲目=部分的諦念からの脱出の努力、第23曲目=部分的諦念からの解放、第24曲目=全体的諦念に至る)

ミューラーの詩は単なる田園詩でありそれらは部分的諦念の作品と考えられるが、シューベルトはこの基本楽想としての諦念を(この歌曲集そのものを)部分的諦念から普遍的な全体的諦念へと導いたのである。つまりシューベルトは内面的なものを、音楽により単なる感情や情緒のみでなく観念にまで高めたのである。・・・・・・・止まれ!またまた相当な脱線である。

交詢社構想は慶応義塾の同窓会案から変化したものである。

慶應義塾(学校という結社)とは“①近世(江戸)から近代(明治)という大きな時代の流れの中で文明を新たに作り出す。②「独立自尊⇒国家独立」に象徴される近代人と近代国家への脱皮を目的とする人作りをする。”結社である。交詢社(社交クラブという結社)構想もこの大きな目的の延長線上にあったと考えられるが、しかし現代の交詢社は選ばれた紳士のための単なる「社交クラブ」となっている。

福澤諭吉の慶応義塾から交詢社に至る偉大な構想は、慶應の同窓会組織・三田会活動として現在も尚、連綿と受け継がれていると感じるのは私だけであろうか?             (完)

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