杉本知瑛子(32)~想い出の花《シャクナゲ(女人高野・室生寺)》・・・42号

    想い出の花《シャクナゲ~女人高野・室生寺》

                                              杉本知瑛子(H.9、文・美(音楽)卒)

 

       

        奥の院への道               シャクナゲ        奥の院参道・シダ群落

奈良の飛鳥路巡りは高校生のころに、国語の若い先生の指導の下クラスの女子半分くらいが、ピクニック気分で参加したのが最初でした。飛鳥とは田んぼばかりでつまらない・・・というのがその時の印象でした。

しかし奈良の寺院は京都のように一日に何箇所もはしご見学ができるほど観光客のためには存在しません。目的の寺院を決めたらその寺院のある山を攻略する覚悟でなければ拝観はできません。牡丹や桜で有名な長谷寺や日本最古の三輪大社にはお正月によく行っていました。三輪大社に行ったら山の辺の道、長谷寺に行ったら寺院内の長~い階段と、京都ほどではないけれどやはり春や秋にはお参りだけでなく、観光客も相当押しかけます。満員の観光地?には行きたくないと・・・それでまだ行っていない室生寺の、「女人高野」という名前に惹かれ行くことにしました。最初は友達と行ったのか母親と行ったのか、50年以上前ではおぼろとなっています。

近鉄「室生口大野」の駅からはバスが出ていますが、深山の空気が心地よく駅からすぐの大野寺まで歩いて行くことにしました。10分位か?宇陀川沿いの道から巨大な弥勒磨崖仏が見えたときは驚きました。大野寺はその川向かい、道路沿い眼の前にあります。そしてその時は有名な大野寺の枝垂桜が満開に咲き誇り、その桜越しに磨崖仏を見ることができたのです。近鉄下車後すぐのこの歓待には息を飲むしかありませんでした。

磨崖仏のある山肌は宇陀川沿いにず~っと珍しい岩肌が続いています。若い頃の私は元気です。この川沿いのあまり車の通らないきれいな道路(ハイキング道としての山道は避けて)を、ピクニック気分で室生寺まで歩いて行くことにしました。

川の流れは清流そのもの、川向こうの山は川まで迫り奇岩が連なります。道路沿いの山は森林や山地などが整備されてそんなに立っていないかのように、道路の脇には山蕗が延々と生えています。途中には家が一軒もありません。室生寺までの長い遍路?の終点地、ひっそりと山の中に佇む女人高野は花の季節なのに参拝客は少ししかいません。

室生川に架けられた大きな太鼓橋を渡り、一歩境内に入るとそこは天上かと思えるほどのピンクの石楠花に埋め尽くされていました。あっちの御堂もこっちの御堂も向こうの五重の塔の廻りも・・歩きながら花に触れることが出来ます。山だからでしょうが御堂から御堂へ行くのにも階段を登らなければなりません。もう、足が笑っています。奥の院に行くのに天然記念物であるシダの群生地を通って行くのですが、私は是非ともその群生地が見たくて一人で奥の院まで行くことにしました。

その山道は細い階段ですが、まるで登山のように果てしなく道が続きます。鬱蒼とした木々の間には霞がかかっていて、奥の院への途中からは雲に遮られて階段が見えません。・・・ここでも天上に至る道程の厳しさと素晴らしさを感じずにはいられませんでした。奥の院にあったのは小さな 御影堂(大師堂)と位牌堂でした。

それ以来、私にとって室生は天女の舞う地となり、ピンクの石楠花を見るたびに女人高野・室生の地で舞っている天女を想像してしまいます。

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*参考:室生寺

奈良盆地の東方、三重県境に近い室生の地にある山岳寺院である。宇陀川の支流室生川の北岸にある室生山の山麓から中腹に堂塔が散在する。平安時代前期の建築物や仏像を伝え、境内はシャクナゲの名所としても知られる。

平安時代を通じて興福寺別院としての性格が強く、俗世を離れた山林修行の場、また、諸宗の学問道場としての性格も持っていた。中世以降の室生寺は密教色を強めるものの、なお興福寺の末寺であった。興福寺の傘下を離れ、真言宗寺院となるのは江戸時代のことである。真言宗の拠点である高野山がかつては女人禁制であったことから、女性の参詣が許されていた室生寺には「女人高野」の別名がある。

*室生の地は火山性地形のため、奇岩や洞穴が多い。洞穴は竜穴、すなわち竜神の住み家として信仰を集め、当地は祈雨や止雨の霊地とみなされた。

写真は龍穴「室生龍穴神社奥宮」

 

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《室生寺:奈良県観光公式サイトより》

「奈良時代末、東宮(のちの桓武帝)の病気平癒を願った興福寺の僧賢憬(賢璟)が創建。現在の寺観を整えたのは賢憬の弟子修円といわれる。その後、一時衰退したが、江戸時代元禄年間に5代将軍徳川綱吉の生母桂昌院の庇護を受け再興された。このころから、同じ真言宗で女人禁制だった高野山金剛峰寺に対し、室生寺は女人の参詣を許可。そのため女人高野と呼ばれ、女性の信仰を集めた。境内には柿葺きの金堂(国宝)や弥勒堂(重要文化財)、檜皮葺きの本堂(国宝)などが散在。金堂には、本尊釈迦如来立像(国宝)をはじめ、十一面観音立像(国宝)など木造の貞観仏5体が安置されている。このほか、弥勒堂の釈迦如来坐像(国宝)などの優れた貞観仏が伝わる。屋外に立つ古塔としてはわが国最小の五重塔(国宝)(高さ16m)は、1998年の台風で大きく損壊したが、現在は修復されている。塔の左の道を登ると御影堂(重要文化財)のある奥の院がある。シャクナゲやモミジが境内を美しく彩ることでも有名。」

     

  弥勒磨崖仏                        大野寺の枝垂桜

宇陀市室生大野にある大野寺の前からは、宇陀川の美しい流れと共に、対岸の岸壁に刻まれた高さ約14mの巨大な弥勒磨崖仏を眺めることができる。この弥勒磨崖仏は、笠置寺の磨崖仏を模して造られたといわれている。

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