天川貴之(31)~「哲学随想(1)」・・・42号

【哲学随想(1)

    人間を真に輝かせるための哲学と徳について

                                                               天川 貴之(91.法卒)

人間というものは剛いものである。その精神は鍛えれば鍛える程に剛くなるものである。どのような環境の中でも、その輝きは失われることはなく、徳を探究する精神は、輝きを増してゆくのである。

歴史に刻印されている精神の輝き、徳の輝き、理性の輝き、真理の輝きは、何物もそれを犯すことが出来ない。それは、現象という現象を超越してある実在であり、実在の精神であり、実在の生命であり、実在の光の輝きである。故に、万人が、その中から永遠の生命の煌めきを得ることが出来るのである。

永遠の生命というものは、我々が創造してゆくべきものである。それは、真理の輝きによって磨いてゆくべきものであり、真理の剛さによって鍛えられてゆくものであり、真理の善さによって培われてゆくものであり、真理の美しさによって導かれてゆくものである。

我々人間の魂の本源にあるものとは、真理の身体であり、叡智の身体である。我々の魂の内なる真理の身体は、永遠の徳を輝かせつづけるものであり、この永遠の徳こそが、我々の精神に、真なる幸福感を与えうるものであるのである。

真理というものが、我々の魂の内には宿っているのである。そして、この内なる真理そのものが成長してゆかんとするのであり、真理そのものが理想を抱き、自らを実現してゆかんとするのである。故に、真理の躍動を魂の内に感じることこそが、常に成されるべき良心の直覚である。

このように、真理を導き出してゆくことこそが、理性の本分であり、真理を展開してゆくこと、真理を創造発展させてゆくことこそが、指導理性の働きである。万人の心を統べている真理は、この指導理性に導かれるようにして、万人のための精神の糧、心の糧を創造してゆくのである。

そして、このような真理の種が蒔かれるべき所とは、真理が成長してゆくに足るところの魂の土壌であり、そこにおいて、真理の芽を育てて、真理の樹木と成してゆくことこそ、魂の教育者である哲学者の使命である。

真理というものは、どのような環境の中においても灯されつづけなければならない良心の炎であり、善の灯である。どのような環境の中においても、真理は探究され、創造されつづけなければならない。また、同時に、真理を探究し、創造されるべき環境を整えてゆくことも肝要である。

このようにして、どのような人生の中にも刻印されなければならない真理の輝きは、多くの人々の人生の輝きとなって、生命の糧を与えつづけてゆくであろう。

一人の成した思索の糧は、万人の糧として成長してゆくべきであるし、一人の灯した真理の輝きは、万人の魂を輝きで満たし、徳の輝きの方向へと導いてゆくべきものであろう。

真理を創造しつつ生きてゆくことは、真理を歴史の中に刻印しつつ生きてゆくことであり、真理を時代の中に刻印しつつ生きてゆくことである。そして、このようにして刻印された真理は、本来、歴史をも超え、時代をも超え、多くの人々の精神へと、心へと、伝わってゆくものである。

このように、多くの人々によって共有されるべき真理を産みつづけてゆくことは、人間の使命の最たるものであろう。本当は、呼吸するように、自由自在に真理を吸い、真理を吐き、真理の流れを創り、真理の書をつづってゆくのが望ましいのであろう。

真理の輝きを示しつづけるということは、本当の意味で、万人の魂を救い、導いてゆく営みであると言える。魂に親しい徳の声、良心の声、理性の声が、万人の魂の内の内なる本性に届けば、それこそ、真なる教育であると言えるであろう。万人の魂から真理が育ち、その真理に導かれて成長してゆけば、それが哲学者の成すべき最高の務めであり、また、常なる務めでもあろう。

この地上に生まれるということは、一見、徳から遠ざかるように見えて、徳に近づく道である。我々の人生のただ中にこそ、徳の輝きは求められるものであり、真実の徳性の輝きを、ロゴスは、永遠不滅の煌めきをもって指し示し、多くの魂達を本来のあり方に導いてゆくことであろう。

真理を愛するということは、徳を愛するということであり、理性を愛するということは、善を愛するということであり、どこまでも真理を探究してゆくということは、どのような環境の中からも真理を成長させてゆくということであり、どのような運命の中でも真理を創造してゆくということであり、そのことによって、運命そのものをも創造し、超克してゆくということである。

そもそも、真理によってあらゆるものが創造されているのであるから、真理を発見すれば、あらゆるものの営みの本質が直視されてゆくということなのである。

このように、真理を刻印してゆくということが、善く生きるということの本質であり、また、そのようにして刻印された真理を主体的に読み解いてゆくということが、哲学を創造し、真理を発見し、新創造してゆく者の不滅の原点であるのである。

真理というものは、我々の魂の側近くにあるものであり、いや、この真理こそが魂の本質そのものであるといっても過言ではない。それは、魂の本源にある水流であり、そこから流れてゆく真理の水流が、数多くの生命を育み導いてゆくのである。

我々の魂をたくましく鍛えるものは、やはり哲学である。真なる哲学によって、人間は、真の剛さを獲得してゆくのである。真理の剛さを獲得してゆくのである。

人生と世界のただ中に超然として輝いているものとは、真理の光明でなくて一体何であろうか。真理の光が輝いていれば、その後のものは、皆、ついてくるのである。

真理を刻印しつづけてゆくことこそが、人生の主要課題なのである。人生の果実そのものなのである。

(JDR総合研究所・代表)

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