杉本1) 雑談とは何か?・・・ (1号)
ここで言う雑談とは無駄話のことではない。
雑談について広辞苑には「雑談とはさまざまな対話。取り留めのない会話。」と記載されている。
又「無駄話とは役に立たない話」とも記載されている。
そう、雑談とは対話であり、立場の全く違う方との雑談は、自分の知らない世界を垣間見させてくれる、すばらしい知識、見識を得るための宝庫でもある。
学生時代、授業や講演後の二次会などで、講師の教授と顔を突き合わせての雑談の仲に、講義や講演とは違った、強烈な光を放つ言葉に感動したことがある方も多くおられることと思う。
雑談は、単なる書物からの知識だけでなく、それらに裏打ちされた思考や体験から発せられる言葉をも多く含んでいる。
大阪芸大卒業後もずっと師事を続けていた、ピアノの武井博子先生(大阪芸大教授)とは、レッスン後いつもおしゃべり(雑談)を楽しんでいた。
ピアノ曲では移調演奏をすることがないが、声楽の場合よく移調で演奏を命じられる。特に東京二期会の森敏孝先生は、少しでも派手に目立つようにと、イタリア歌曲ではご自分がそうされるように、音を高く移調させて歌わされる。
移調させられるとなぜか音楽の雰囲気が変わるのである。それが素晴らしくなる場合と、曲が要求している雰囲気には合わず大変歌いにくくなる場合とがあった。
平均律では移調によって音楽の雰囲気は変わらないはずであるのに、私の身体はおかしいと言う。
中川牧三先生(日本イタリア協会会長)のところでは、オペラばかりのレッスンだから移調演奏することはなかったし、歌曲での移調演奏でも何も問題は生じていなかった。
それで、きっと東京まで行くのに疲れて体が響かないのだと、自分の技量不足と考えていた。
そんな話も雑談の中で武井先生に話していた。
「ブリーゲン先生(音楽学者)のお弟子さんが卒論で古典音律について書いていましたけれど、
杉本さんの役に立つのではないですか。」ある日そう言われ、ご自分が卒論指導をされた学生の参考文献の話をされた。
それが『ゼロ・ビートの再発見』(平島達司著)という貴重な本だったのである。
ブリーゲン先生と平島先生はご友人だったので、そういう書物の情報が武井先生の手に入ったのである。その、ピアノレッスンとは関係のない情報をいち早く私に話して下さったのは、普段の雑談の賜物である。
その書物により長い間かかえていた問題点が、次々と解明されていった。
もちろん、その本に書かれてあることを、実際に自分のピアノで再現するためには、古典音律の理論を理解し、それらの調律調整ができる調律師の存在が不可欠である。
調律師を捜すのに5~6年はかかった。
その間にデジタルピアノで音律変換機能が付いた製品が出来、楽器社の方が、試弾用(無期限)にとその新製品を自宅に持ってきてくださった。
そのピアノでは音律での曲の変化はあまり感じなかった。本から受けたイメージとデジタルピアノの音(響き)では全く印象が異なった。がっかりした。
そしてその後、長期間ドイツに調律留学していたカワイ楽器の中央研究所の調律師の方に紹介され、その方に理論の解説を受けながら、自宅のピアノをヴェルクマイスター音律に調律して頂くことができた。(ヨーロッパでは日本で言う古典音律は、平均律として調律されているそうであった。)
グランドピアノの音は、共鳴の関係かデジタルでの音とは全く異なる響きであった。
私が手に入れたその書物は、その後長い間絶版となり、幻の名著として楽器社の方々が捜しまくっておられたのを覚えている。
古典音律(ウェルテンペラメント)で調律したピアノでのシューベルトの歌曲は特にすばらしい。
シューベルトのピアノ曲アンプロンプテュ(即興曲)Op.90 D.V.899 No.3 Andante では曲の調子記号は♭が6つついている(変ト長調)。
だがそんな難しそうな楽譜は売れないと判断した出版社は、移調して♯1つの調子記号(ト長調)に変えて出版した。しかし近年、シューベルトの自筆楽譜が発見されたため、現在では原曲に従い変ト長調で出版されている。
しかしその変化の再現は、シューベルトが使っていたと考えられているヴェルクマイスター音律に調律されたピアノでなければ不可能である。
過去、自宅で開催してきた「ミニミニコンサート」では毎回その曲も演奏するが、その2曲の雰囲気の違いに皆さん息を呑まれていた。
ヴェルクマイスター音律は調子記号による調性感をはっきり表出する音律である。
それに比べ、響きの全てがわずかに不協和を生じる、平均律(1オクターブを12等分する日本の平均律)は調性的にモノクロである。
自然の共鳴に基づいた音律と1オクターブを機械的に12等分した音律では全く異質なものと考えるべきであろうと思う。
~らしき曲は再現できても、~らしき曲はシューベルトの想念から生まれた曲ではないのである。
とまれ! 又脱線してしまった。しかしこれが雑談のいいところである。
雑談を役に立たない無駄話ではなく様々な談話と考えて、私の持つわずかな知識と体験から、私の知る世界の話をこの広場で話していきたいと思う。
ここは福澤諭吉研究会「諭吉倶楽部」会報の場である。
しかし、福澤諭吉先生に関しての知識習得はこれからであり、知的交流の場としての発表は私に関しては、極めて幼い内容になると考えられる。
それなら、大学卒業後も数十年研究を重ねてきた音楽の話のほうが、人の役に立つのではないか。
書物と体験と、中川牧三、五十嵐喜芳、森敏孝、大橋国一、マリオ・デル・モナコ、ジュリエッタ・シミオナート、マエストロ・ファバレット、等、多くの音楽の歴史を体現されてきた先生方からのレッスン受講体験。
中でもレッスン終了後、よく何時間も雑談をしてくださった中川牧三先生。
その雲の上の方との貴重な会話の数々、そしてそこからまだ日本では確立されていない美学の必要性を感じさせていただいた幸せ。
いまのところ、福澤諭吉先生に関してのの研究発表はまだできないが、私にとっての実学、そして私にとって独立自尊の精神の象徴でもある、その音楽の研究を雑談としてこの場で発表することは、許されるのではないだろうか。 (終わり)
杉本 知瑛子〔H.9、文学部・美学(音楽) 卒〕