倶楽部便り:会員の近況報告・・・30号

倶楽部便り    〔会員の近況報告〕                 

                                 2019、4、28

1、山根 昭郎

 4月第一週に、娘夫婦、孫と我が夫婦でハワイに出かけてきました。1歳半の孫を連れての海外旅行は初めてのこと。飛行機での長旅がどうなることかと心配しましたが、思いのほかぐずることなく、手がかからず安心しました。現地では連日抜けるような青空と心地よい空気を満喫できました。このような機会を持つことができたことを天に感謝します。            (4月26日 記)

2、塩野 秀作

1.1/23 公益財団法人関西生産性本部幹部会に出席

講演「熊本県の復旧と創造的復興」熊本県蒲島知事 (熊本県から頼まれ仲介)

蒲島知事の講演に皆さん大変感激されたようであった。蒲島知事は、貧乏な八人兄弟の家庭に育ち、食べるのに大変で勉強する暇なく地元高校卒業後、地元農協に就職。しかし、この理不尽な世の中を変えるために政治家になりたいと夢を抱くようになった。農協で米国のネブラスカ大学で研修を受ける機会を得て帰国後、ネブラスカ大学農学部に入学し卒業。ハーバード大学大学院に進み、政治経済学博士号を取得。しばらく研究員として勤務。昭和60年筑波大学助教授、平成3年教授を経て平成9年、東京大学教授に就任。平成20年 知事選に潮谷知事が出馬しないことを知り、政治家の夢捨てがたく、熊本県では知名度がまったくないので泡沫候補と言われながら、立会演説会を重ねることによりトップ当選で熊本県知事就任。まず最初にしたことは知事の給料を100万円カットし、24万円で頑張ると宣言。税金引かれたらほとんど給料がなくなり生活できないと夫人からは叱られた。しかし、この知事の姿勢で県職員も財政再建に協力的になった。就任後、川辺ダム建設計画の白紙撤回を表明。長年続いた問題を6ヶ月で解決し国土交通省から歓迎された。2011年3月12日新幹線熊本直通運転開始の開通式式典の熊本観光キャンペーン「くまモン」が誕生したが、前日の東日本大震災で中止となり、「くまモン」の出番がなくなり、折角のキャラクターなので観光に大いに利用したいと考え「吉本新喜劇」に知事と出演。関西地区で「くまモン」失踪とのストリーを作って見かけたら熊本県庁に連絡を!で知名度アップ。

平成28年の熊本地震直後には、「早期復旧と創造的復興」を県民に約束。国土交通省が大変協力的に「早期復旧と創造的復興」を後押ししてくれた。

弁舌さわやかで書類も見ずに数字がポンポンと出てくるのには皆さん感心しきりであった。

知事退任後には中央政界で活躍してほしいとの声も出ていた。皆さん喜んで聴いていただき私

の仲介も遣り甲斐があった。

2.1/23 午後 日本香料工業会賀詞交歓会(東京:如水会館)

3.1/24 大阪ロータリークラブ叙勲祝賀会(リーガロイヤルホテル)に出席

叙勲者 河内一友会長(毎日放送)、辻井昭雄相談役(近鉄)

4.1/25 午後 日本香料工業会賀詞交歓会(大阪:三井ガーデンホテル大阪淀屋橋)

5. 1/26  福澤研究センター講座第3回(慶應大阪シティキャンパス)受講。

「時事新報」と災害復興支援 -そのとき福澤諭吉は!?-

四天王寺大学 人文社会学部教授  曽野 洋氏

曽野先生の話で、福澤諭吉が適塾時代に腸チフスに罹り、緒方洪庵先生が親身に、

利きそうなあらゆる薬を取り寄せて治療したことを話された。これらの薬は、

当時、親交のあった二代目塩野屋吉兵衛が用立てた可能性が高い。療養するために

中津に帰還した諭吉は全快し数ヵ月後には帰阪。しかし、付き添いで帰った兄は、

中津で発病後、亡くなった。福澤諭吉は薬がなければ亡くなっていた可能性もあり、

こういう形で慶應義塾を創設した福澤諭吉と縁があるとは想像もしていなかった。

投薬がなければ、福澤諭吉は生存していなかったかもしれない。そうすれば慶應義塾も

存在せずということになる。不思議な縁というしかない。

6.1/27 大阪慶應倶楽部 宝塚歌劇観劇会・懇親会(宝塚歌劇場)に出席。

7.1/29  日本香料協会学術講演会(大阪薬業クラブ)出席

8.1/30  公益財団法人関西生産性本部 欧州生産性比較調査団メンバー「SDFの会」に出席

9.2/ 3  関西江原会(熊本高校関西同窓会)役員会出席(当社)

  1. 2/ 6 くまもと産業支援財団主催田原塾設立30周年記念会合に講師として講演

懇親会では 熊本県蒲島知事が隣席で出席

  1. 11. 2/ 7  大阪ロータリークラブKテーブルミーティング(近鉄 春帆楼)に出席
  2. 2/9本社香り会バス日帰り旅行(京都東山)
  3. 13. 2/12 大阪慶應倶楽部幹事会出席
  4. 2/13  日本香料工業会常任理事会出席
  5. 15.2/14 日本香料協会編集事業委員会(東京薬業年金基金ビル) 懇親会(吉辰)出席
  6. 16.2/15 大阪ロータリークラブ例会出席 大阪ローターアクトクラブ例会出席
  7. 12/16 福澤研究センター講座第4回(慶應大阪シティキャンパス)受講。

草創期時事新報の「政治家」論―明治初期の「政治家」について考えるー

講師 関西大学 経済学部准教授 柏原 宏紀 氏

  1. 18.2/19日本綿業倶楽部 茶話会出席
  2. 19.2/20インターフェックス展示会(大阪国際展示場) 見学
  3. 20. 2/21公益財団法人関西生産性本部中堅企業経営委員会に出席
  4. 21. 2/22  土曜会(吉野寿司)出席
  5. 22.2/23 出光ラグビー部総会出席
  6. 23.2/25 米国駐日大使歓迎レセプション(帝国ホテル大阪)出席。
  7. 2/28 熊本江原会役員会・理事会・創立120周年記念事業委員会に出席

25. 3/1  熊本高校卒業式・江原会入会式に出席 代表して祝辞を述べる

26. 3/2 大阪工場香り会日帰りバス旅行(淡路島・三田)参加

27. 3/3 大阪ローターアクトクラブ創立50周年記念式典・懇親会出席

28. 3/6 松谷化学工業㈱松谷前会長お別れ会

29. 3/7 日本綿業倶楽部 茶話会出席

30. 3/16 福澤研究センター講座第5回(慶應大阪シティキャンパス)受講

―時事新報社説執筆者論争―

慶應義塾福澤研究センター准教授 都倉 武之 氏

31. 3/19 日本綿業倶楽部 茶話会出席

32. 3/20 日本香料工業会常任理事会出席

  1. 3/25  森ビルデジタルアートミュージアム チームラボ ボーダレス視察

猪子寿之氏率いるアート集団が世界初のデジタルアートミュージアムを造り、当社が

各部屋にそれぞれ別の香りを空間に流す芳香機と香料の提供を担当しているので、

状況視察。昨年6月にオープンし入場者200万人達成。来場者の約4割が外国人。

34. 4/ 1 合同入社式 祝辞を述べる。

35. 4/ 6 関西江原会役員会出席

36. 4/16 大阪慶應倶楽部幹事会出席

  1. 4/17 日本香料工業会常任理事会出席

38.4/20 関西江原会総会・講演会・懇親会出席

(4月19日 記)

3、柴山 晴哉

“土芒果”

今年で第15回つまり一年一回なので15年目を迎えた台湾南部三田會に

参加してまいりました。

日籍會員で全ての回に参加したのは私だけと紹介されました(光栄)

元台湾三田會長の陳田柏先生が主催いただき、高雄に一泊、晩餐で南北會員の

交流晩餐、翌日、陳先生がオーナーの名門高雄高爾夫俱楽部でコンペをして

戻って来るという恒例の行事。

台湾三田會には凄腕のゴルファーがいっぱいおられるのですが、台湾全土で

このゴルフ場が一番難しいとの評。

そして、ここにはその戦略的なコース以外に有名な特徴があり、上がりの

2ホールを取り囲む木樹は全て天然マンゴ(芒果)。

しかも今年は暖冬だったせいか、既にたわわに実って熟していました。

台湾の芒果というと、皆さん真っ赤なアップルマンゴ(愛文芒果)を想像され

ますが、あれは戦後かなり経ってから輸入された種で、本来の台湾の

土着マンゴは熟しても黄緑色のままの“土芒果”だそうです。

小ぶりですが、中は真っ黄色で、特に地面に落ちているものは既に熟して

いるので超甘くて美味なのです。

陳先生のご配慮でキャディーの皆さんが拾い上げて下さり、プレイ後の

昼餐で振舞っていただき参加者全員感激しました。     (3月31日 記)

① 台湾南部三田会 ゴルフコンペ@高雄ゴルフクラブ       ② 土芒果 台湾土着マンゴ

  

4、天川 貴之

天川貴之様より3月に写真集を出されたとのご連絡を頂きましたのでご案内致します。(事務局)

 写真集の表表紙と裏表紙

     

第三章「女神の舞」より抜粋 

 
静御前の衣装で舞っておられるのは、天川様ご自身です。
「女神の舞」~琵琶湖のほとりにて~というテーマで、

自ら作詞作曲された楽曲に合わせて、様々に舞われたものです。

下段右の写真は第五章「オリエンタルの神秘」~ジャワ・バリ島にて~よりのお写真です。

 

   写真集の出版社は「ルネッサンス・アイ」、3月11日発行、定価2,000円(税抜)、

ISBNコードは、978-4-8344-0264-3 です。”

(4月20日、事務局:杉本知瑛子記)

5、杉本 知瑛子

 1月26日慶應大阪シティキャンパスで、「慶應福澤研究センター講座」があり、四天王寺大学の

曽野洋先生の講義に出席しました。

「『時事新報』と災害復興支援~そのとき福澤諭吉は!?~」というテーマでの講義でした。

「福澤諭吉が生きた江戸末期から明治期も今と同様で、日本列島は大きな自然災害に直面した。

明治以降の罹災者のためにその都度福澤は、自ら創刊した『時事新報』を活用して莫大な義捐金を集める。本日は福澤による罹災者・被災地支縁の特質を探るため、1891(明治24)年 10月の濃尾地震直後に、福澤が打った一手を紹介したい。そして、その打ち手の真の狙いや、福澤の<利他の精神><巻き込み力>などについて考察しながら、現代人にとっても示唆に富む福澤イズムの一端に接近する。」というのが、本日の課題でした。

明治以降の福澤が関与した、災害復興支援などおもな義捐金募集活動について話された後、司馬遼太郎が「非常に優れた合理主義者」だと評した松下幸之助と福澤諭吉の類似点等をも語られた。

“ここで私が注目したいのは、幸之助が人生のほぼ半ばで、歴史学の時代区分で言えば近代から現代への大転換期を体験している点だ。

歴史の大きな変わり目を生き抜くイメージを福澤諭吉は名著『文明論の概略』で次のように述べる。「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」と。66年間の人生を歩んだ諭吉は前半生を江戸時代に生き、後半生で明治時代を経験した。つまり諭吉は近世から近代への劇的な変革の経験を、「一身二生」と捉えたのである。諭吉流に言えば、近代から現代への変わり目を生き抜いた幸之助もまた「一身二生」の人だ。~”

(毎日新聞2017/2/5曽野洋著「学都おおさかの風景」より)

幸之助翁が登場すれば大阪人としては大変分かりやすく興味を引く(眠くならない)講義となります。

『時事新報』を活用して莫大な義捐金を集めた福澤の真の目的とは何か?

幕末維新という激動期を、自助努力と他者の支援のお陰で駆け抜けた福澤諭吉。そんな福澤は私利私欲を少し抑え、助け合うことの重要性を確信したのだ、と先生は推察されました。

今回の講座は、最初から最後まで発音明瞭、内容豊富で大変分かり易い講義だ!と思っていたら、カメラマンが全講義内容を撮影しているのを発見。特に良い講義のときにめぐり合わせて大変幸運だったようで、それでつい講義の一端を報告欄に書いてしまいました。

3月28日、大阪歯科大病院で、やっと仮歯4本が出来上がりそれらはしっかりとくっ付けられ、仮歯であっても、もう何を食べても外れないように、ギチッと歯に装着して下さいました。

3週間後の4月18日、仮歯が外されやっとセラミックのきれいな歯となりました。これで出来上がり!かと思ったのですが、翌週25日嚙み合わせの確認と調節のために、又予約を入れることになりました。

上の歯がきれいになると、下の歯も・・・と、下の歯も上と同じく4本やり変えて頂くことになり、

まだまだ当分歯科大通いは続きます。

3月から4月、昨年の台風で整理した植木の後に植えた花々が、次から次へと咲いています。

家の前がこんなに華やかになったのは初めてで、一歩外へ出ると花々の芳しい香りに酔いしれ、

無残な台風の爪跡はどこにも感じられません。でも台風で家や屋根に被害を受けた所は、瓦不足でまだ修理も出来ず、雨漏りという二次被害に苦しんでいるとの報道に、自然災害の恐ろしさとともに植物の生命力に感動する春となっています。              (4月20日 記)

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