白石20 )『雑文集』より「梅さんと桜ちゃん」・・・38号
《雑文集より》 「梅さんと桜ちゃん」
白石 常介(81、商 卒):(台湾三田会 顧問)
お花見、それは主に樹木に咲いている花を観賞し楽しむことである。
現代の春のお花見といえばまず桜であるが、はるか昔は桜はお花見の対象ではなく、神の宿る木としての信仰の対象であった。
桜の“さ”は田の神、“くら”は神の座る場所を意味し、“さくら”は神が山から降りてきて留まる場所、つまり依り代(よりしろ:神を迎えて祭るときに神が宿る木や石)とされていた。そこで、桜が咲くことは「神が山から降りてきたこと」を意味し、酒や食べ物をお供えし、また、桜の開花状況により大切な田植えの時期を決めていたようである。
奈良時代になると、梅がお花見の対象となった。
当時、日本は中国の唐に遣唐使を派遣して盛んに交易をし、中国文化とともに物も日本に伝わり、そのひとつに梅があった。香り立つ梅の花は貴族を中心に人気があり、「梅を見ながら歌を詠む」ことが当時の貴族の優雅な風習であり、これがお花見の基になったようである。
その後、平安時代になると遣唐使が廃止され日本独自の文化が発展し、桜の花が約二週間で散り花びらが舞い落ちる情緒ある風情が日本人の心を揺さぶったのか、お花見の対象が梅から桜に代わっていった。
また、中国伝来の梅ではなく日本古来の桜のほうが、より親しみを感じていたのかもしれない。
時は過ぎ、貴族の風習としてのお花見が、武士や一部地域などでも行われるようになり、徐々に一般庶民にも広まり、桜を愛でながらお酒を飲み歌を楽しむようになった。
寺社や山々などへの植樹も広まり、お花見には花見団子も食べられるようになった。
この花見団子は、桜色、白色、緑色の三色である。桜色は“春の桜”、白色は“冬の雪”、緑色は“夏のヨモギ”で、秋がないのは“飽きが来ない”とされ、縁起の良い紅白や邪気を払う緑が重宝されたようである。
ちなみに、花ことばはこうである。
梅:上品、高潔、忠実、忍耐
桜:精神美、優美な女性、純潔
梅さんと桜ちゃんが何やら・・・
「ねえねえ、桜ちゃんはいいわね。春になるといっつも人気が出てさ」
「えっ、そんなことないわよ。私がまだつぼみのうちに梅さんの馥郁(ふくいく)たる香りにいつもドキドキしちゃうもの」
「えっ、そうなの」
「花は夜の闇が訪れると人の目には見えなくなるでしょ。でもね、香りはいつでも漂ってくるの。“闇夜に現れる妖艶な香り”なんて色っぽいわ~っ」
「ほんと? ありがとう。でも、やっぱり桜ちゃんの艶やかさにはまったく歯が立たないわ」
「ありがと。でもね、梅さんの隠れた実力ってすっごいのよ。私、知ってるもん」
「えっ、何が?」
「うん。梅ちゃんの効能よ。疲労回復、老化防止、食欲増進、それに肝機能強化でしょ」
「あっ、梅干しの効能の方ね。これには自信があるんだ」
「でしょ。それに、私びっくりしちゃった。梅干しって酸っぱいから酸性かと思ってたの。そしたらアルカリ性だったのね」
「そうよ、これも自慢なの。現代人は酸性食品を多く摂りがちなので、梅干しを食べると中和できるから。それに血液やリンパの流れをよくしたり免疫力がアップしたりもするのよ」
「でしょう。すっごい効能だわ」
「桜ちゃんの方も、リラックス効果とか、抗菌作用、鎮痛作用、血圧低下作用や二日酔い防止なんかもあるのよね」
「そうみたいだけど、梅さんほど強烈じゃあないわ」
「だったらね、自分自身の得意なところを自信をもって伸ばしていけばいいのよ。何でもできる必要なんかないんだからさ」
「そうよね。お互い相手の良いところを認め合いながら、自分にしかできないことをやっていけばいいんだものね」
「自然界ってうまくバランスがとれているのよ」
「そうね、それを無理して変える必要なんかないんだわ」
「これからもよろしくね、桜ちゃん。お互い頑張りましょ」
「こちらこそよろしく、梅さん」