天川22 )新時代のモラリストによせて・・・33号

「新時代のモラリストによせて」

                                         天川 貴之(91、法・法律)

理念には、真、善、美など多様なる側面があるといえるが、その中の「善」を探究し、実践してゆくことこそ、モラリストの使命である。しかも、これは、モラリストという特定の人々の課題ではなく、善なる本性を持つ人間としての万人の課題であるといえよう。

現代という時代は、道徳的価値が非常に軽視されている傾向がある。学歴社会に象徴されるように、非常に知性を重んじる時代であるが、その知性の中に、善や徳というものが見失われて久しいのである。

この知と徳というものを分離して学問社会が築かれてきた所に、現代文明、現代文化の脆さもあるといえるのである。

本来、優れた才能というものは、優れた徳に使われた時にこそ真にその価値を顕わすのであり、いくら優れた才能を持っていても、それを悪の方向に使えば、かえって、その才能故に堕落することもあるのである。

それは、大局的に言えば、科学の問題についても言えることである。高度の物理学と、工学技術の発達によって創られた原子力エネルギーの如きは、「才」の極致の象徴である。しかし、それを自由自在に使いこなすだけの人類共通の道徳精神が発達していなければ、取り返しがつかない程の悲劇を招くことにもなるのである。

現代においては、学問分野のみならず、実社会においても、科学と経済が非常に高度に発展してきているといえる。しかし、いかなる方向に科学や経済学を発展させてゆけば、真に人類を幸福に導くことが出来るかという学問思想が根本的に欠如しているのである。

かかる思想潮流が現象化してきたものが、会社の営利追求に伴う環境破壊であったり、人倫破壊であったり、また、原子力爆弾による悲劇であったり、テクノロジー公害であったりするのである。

そもそも、諸学の学である哲学には、真、善、美という三つの探究分野があるのであり、真とは、主に「法則・実在とは何か」の探究であり、善とは、主に「いかに生きるべきか」の探究であるといえよう。

すべての学問は、根底にこれらの哲学的課題を有しているのであり、学問である以上、例外はない。このことは、たとえ、現在、話題にのぼらなくとも、常に、その前提問題として問われていることなのである。

近現代に、主として社会科学の分野において「没価値性の理論」(マックス・ウェーバー)が説かれ、学問は何が善であるのかという価値判断を控えるべきとする風潮が一大潮流を作ってきたが、本来、善の探究とは、経済学においても、科学においても、その他の政治学や、経営学や、法律学においても、必要不可解な探究課題であるといえるのである。

人体においても、必要な栄養素を摂取することなく、特定の栄養素ばかりを偏って摂取していれば身体に変調をきたすように、学問思想においても、かかる善の分野が欠けてくれば変調をきたし、それが必ず、実社会の変調として顕われてくるものなのである。

その意味で、現象というものはすべての理念の影なのであるから、理念の基たる学問や思想を探究する者は、何よりも、すべての社会現象の悪に対して責任を持たなくてはならないのである。

故に、これより、学問の方向性を探究する学問、すなわち、何を探究するべきかということそのものを探究する学問が求められているといえるのである。かくあるべき目的性を見失った学問思想とは、あたかも、港を見失って航海する船のようなものである。

理念とは、真理、法則、実在であると同時に、善であり、徳の源なのである。かつてソクラテスの云われた、人間が「よく生きる」ための思想、人類が「よく生きる」ための学問を、すべての学者や思想家や言論人が相集い、協力しあって模索しなければならない時期に来ているのである。

現代という時代の端境期には、そして、最高の文化的興隆期には、必ずや、優れたモラリスト達が出現してくるはずであるし、また、その出現を待ち望む風潮を創ってゆかなくてはならない。

かつての古代中国において、孔子や、老子や、墨子等を輩出したように、かつてのローマ時代において、セネカや、エピクテトスや、マルクス・アウレリウスを輩出したように、また、ルネサンス期には、ベーコンやモンテニューを、近代には、エマソンや、ゲーテや、福沢諭吉等を輩出したように、その時代、その時代の文化的高みを善なる方向へと導き、文化文明に道徳的支柱を与える賢人達は、文化文明が進むにつれて、ともすれば道徳的に盲目になりがちな人間にとって、必要欠くべからざる存在であられるのである。

真理を探究する時代は、同時に、善き時代、徳ある時代でなくてはならないし、真理を探究する人間の一人一人も、善き人間であり、徳ある人間でなくてはならないのである。

かつて、カントが述べられたように、いかなる学問分野、いかなる職業に従事されている方であっても、すべからく、自らの生きるべき規範、「格率」を確立しなければならないのである。

自己の格率によって生きる人間こそ、真なる人格であり、その格率が普遍なる道徳律と合致した時にこそ、その人格は真に尊厳ある人格となることが出来るのである。このように、人間を人間たらしめ、人間性を最高度に発揮せしめるものは、その人のモラルであるといってもよいのである。

では、自己のモラルの格率というものはいかに築いてゆけばよいのであろうか。まずは、良心という自己の理性の道徳的側面に常に忠実であろうとすることである。良心とは、万人に親しい声であり、万人が本来有している声である。

良心なき人間というもの、善なる本性なき人間というものは、この地上に一人たりとも存在しないのである。しかしながら、良心を曇らせている人間、良心に背いている人間は数多くおられるのである。

自らの良心に忠実に生ききるということにも努力がいるのであり、確かに良心そのものは初めから万人に与えられているものであるけれども、良心を体現した人格というものは、努力に努力を重ねて獲得してゆくべきものなのである。

かのマルクス・アウレリウスの「自省録」は、古きローマ帝国時代の、しかも、私達の日常からかけ離れた皇帝という立場にある方がつづられたものであるが、今なお、私達の胸を打ち、私達を普遍的な善へと導く感動を与えるのは何故であろうか。

それは、時代を問わず、地域を問わず、宗教信条を問わず、良心の声とは、万人にとって普遍的に実在するものだからである。「天は人の上に人を創らず、人の下に人を創らず」というが、天は、すべての人間に平等に良心を与えられたのである。

しかしながら、その良心の声の掘り下げ方、良心の声の体現の仕方においては、哲人と凡人では大きな隔たりが出来てしまう。これは、人間として一番大切な義務を常々果たしている人間と、そうでない人間との差であるといえるのである。

一つの国家、一つの時代であっても、その時代、その国家のリーダー達が、常に自らの良心に忠実に生きんと心がけられたのならば、この人の目には見えない陰徳を積まれたのならば、そして、良心の声に従って、自己に割りあてられた仕事を真心を込めてされたならば、どんなにかその時代が徳の光に輝き、その国家が善き調べと旋律を奏でることであろうか。

この良心を探究してゆく道は、内奥において理念に到達し、その究極において、すべての理念を統一する神に到達する道である。かかる神と合一することがモラルの極致であるといえるが、これは、かつてプロティノスが、神秘的直観によってすべての理念を統一する「一者」と合一すると説かれたことと同じであるし、また、ヘーゲルが絶対知によって「絶対精神」と合一すると説かれたことと同じである。

この絶対精神とは、一なる絶対者を、精神的側面から哲学的にとらえた概念であるが、これはかつて、道徳的に孔子が「天」ととらえられ、老子が「道」ととらえられたものと同じである。一なるものが、普遍なる一なるものである以上、究極においては一致するのである。

かかる、古来より先哲達によって把握されてきた普遍的なる道を学び、思索することを通して、自己の良心をさらに深く広く掘り下げていっていただきたい。さすれば、究めてもなお究めきれず、汲めどもなお尽きない悦びが、ふつふつとふつふつとこみ上げてこられることであろう。

孔子は、「論語」の至る所で道を修めることの悦びについて讃嘆しておられるが、人間として生まれた最高の幸福とは、人間としての道そのもの、人生の道そのものを究めてゆく悦びにこそあるといえるのである。これは、本来、義務というような、外から命令されて為すべき堅苦しいものではなく、もっと大いなる悦びに基づいて、自発的に為すべきものであるのである。

徳とは、このような精進を通して自然に湧き出てくる所の、悦びに満ち満ちた高貴なる人格の香りのことをいうのである。徳ある人の周りには多くの人々が集まってくるのは、「桃季もの云わねども、下、自ずから蹊を成す」の喩えの通り、その妙なる悦びの故なのである。

かかる妙なる香りと悦びをもつモラリスト達よ、大いなる徳の香りと道の悦びを忘れて久しい現代の人々に、どうか、太陽の慈悲の光のように、暖かい日ざしを与えてさしあげていただきたい。

さすれば、春の日に、すべての自然界の生き物達が、すくすくと悦びに満ちて芽を育むように、人々の内に眠っていた善なる萌芽がその芽を伸ばし、すべての学問思想の内に、善なる花として開花し、社会のあらゆる分野に、善なる果実を実らせてゆくことになるであろう。

そこから、最高に善き人間達による、最高に善き文化、最高に善き文明が興隆してゆく時代が始まってゆくのである。

(天川貴之:JDR総合研究所代表・哲学者)

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