白石13 )「小話五題 その二」・・・24号

~「小話五題 その一」の続きです。~

三.コーヒーは一杯に限る 

大通りから一歩小路に入ると昼でも寝静まっているのかと錯覚するほどシ~ンとしているある街の路地裏に八百屋の主人“商一(しょういち)”が、小さな小さなそれは小さな店を遠慮がちに開いていた。品質はというと、これはもう飛びっ切りうまく新鮮である。しかしどうしたことかお客はち~っとも入らない。それもそのはず。店に並んでいる品は一見(いっけん)するとすべて視界に入ってしまい、数量もほんの少しずつならんでいるのみ。一度にそんなに多く買うほどのお金もなく、そんなにたくさん置く場所もなかった。

一方、農産物販売農家の“耕治”も機械化した大量生産は好まず、自分の手の届く範囲で汗水流しながら心を込めて精いっぱい良い物を作ろうと思っていたので、こちらもそうそうたくさん生産して販売することはできなかった。

それらを横目に、大通りに面した一等地には最近大型スーパーが進出し、わが物顔でお客をかっさらっていった。

「はいっ、そこ行く若奥さ~ん、今日は××が安いよ~っ。これを買って今夜は旦那に精をつけてやりなぁ。え~いっ、1束100のところを2束150でいいよっ。

え~っ、らっしゃいらっしゃ~いっ、小野小町もマッツァオなそこのおねえさ~ん、あっ、い

や、ご年配の方でしたか、こりゃ失礼。ではあらためて大野大町さん...」ってなもんで、それはそれは口八丁手八丁、ビジネスに長けた対応ぶりだった。

ご多分にもれずこの街もいつのころからか様変わりしてしまった。昔は人情がそこかしこにあふれ、網を出せばどこでも手軽にすくえたものだ。

“隣は何をする人ぞ”は、今日では“隣近所付き合いがない生活なので、隣に住んでいる人はいったい何をしているのか分からない”と解釈しがちだ。

しかし、本来は“(知り合いの)隣の人は今、何をしているのかな”と、人懐かしさを表していた。

昨今はビル群やマンション群が覆いかぶさり、陽光を遮断して重々しく背負い込んでいるような、そんな圧迫感をついつい覚えてしまう。

唯一、路地裏の一角に昔そのままの小~さなお地蔵様が祭られていた。あまりにこじんまりしていたため、人々は横目でちらっと見ることさえせず足早に通り過ぎてしまっていた。

赤とんぼが夕陽の紅に染まり、稲穂が黄金色に実り礼儀正しくこうべを垂れてお辞儀をしていたある秋の日、はるか遠くの女台風に思いを寄せて近づこうとしていた男台風は、“あなたなんか大っ嫌いよ、こっちに来ないで”とあっさり振られてしまった。さあ、今まで失恋の経験がない男台風はそれはそれは悲しくなりめそめそと小雨を降らせていたが、辺りが暗くなるとますます寂しくなり、自暴自棄に陥りやり場のない怒りを大地にぶちまけるように夜中よりところかまわず大暴れし、いい迷惑の農産物はかなりのダメージを被ってしまった。

さあ、どうしよう。次郎長一家より怖い台風一過、の朝、農家の耕治は恐る恐る外へ。ますます高まる心臓の音がはっきりと聞き取れるほどバクバクしてきたところで畑をチラッ...。

「やっぱり...こりゃあひでぇ...」

チラッと見ただけで相当なストレスがたまってしまった。“チラッ”はやっぱり体によくない。

八百屋の商一も心配になり耕治に連絡してみた。案の定、耕治の沈んだひと言ですべてを理解した。

「なあ、耕治さんよぉ。大自然とともに生きてるんだからこんなことで負けちゃあいけねえ。どうだい、久しぶりにあのお地蔵様んとこにいっしょにお参りに行ってみねえか」

「そうだな、商一っつぁん。昔からあのお地蔵様は俺たちの味方だもんな」

ということで、ほんとに久しぶりにお地蔵様にお参りすることになった二人。

「あれあれ、お地蔵様にこんなに枝や葉っぱがくっついて。破れた唐(から)っ傘も...。昨夜の台風のおみやげだな、こりゃあ。よっしゃ、久しぶりにきれいに掃除してやるベえ、なあ、耕治さんよぉ」

「そうだな、商一っつぁん。最近は通り過ぎるだけでまともにお参りしてなくてごめんよ。お地蔵様はやっぱり俺たちの心のよりどころだもんな」

お地蔵様をきれいさっぱり清め、二人は何だかすがすがしい気分でそれぞれの家に戻っていった。

農家の耕治は生来何事もよい方向に考える性格であり、また、さすが大地と毎日戯れているだけあってやっぱり芯が強い。ストレスは当然感じるがそれも一時的であり、すぐよい方向に。

「そうなんだ、台風だって好きでここに来て暴れまくってたんじゃあねえ。きっと虫の居所が悪かったんだ。そんなこたぁ俺にだってあるからな。それに最近は雨がなかったからいい塩梅(あんばい)に降ってくれたって思やあいい。大地を潤してくれてありがとうよ。じゃあ畑に出てって台風にも負けずに残った元気な野菜君たちにあいさつしてくるとするか」

首によれよれのタオルを巻き、頭に穴の開(あ)いた麦わら帽をかぶって畑に行き、まだ大丈夫そうな野菜をとりあえず一本引き抜いてみた。

「あれっ? 今引き抜いたばっかりだぞ。ほれっ、足元にあるがな。えっ、引き抜くそばからまた生えてくる。“痛(いて)っ”、夢じゃあねえ、そんなバカな。じゃあこっちも“どっこいしょっ”、あれれっ、同じか。こっちからもまた同じもんが...。ははあっ、こりゃあ、お地蔵様の御利益だな、きっと。ありがてえこった」

耕治は持ち切れないほどの新鮮でおいしいそうな野菜を背中のかごに山盛りいっぱい入れ、商一のもとへ。

「あれっ、耕治さん、いったいそんなにどうしたんだ。台風でかなりやられちまったんじゃあなかったのかい」

「おうっ、俺もそう思って畑に出てとりあえず残った野菜を採ろうとしたらさあ、あ~ら不思議、ってことよ。なんせ抜くそばから生えてくるんだぜ、同じ野菜がさぁ」

「...そりゃあ、お地蔵様の御利益だな、きっと、たぶん、おそらく、メイビー」

「俺もそう思うよ、ベイビー。だってお参りした途端にこうだもんな」

「信じる者は救われる、ってことだ。ところでそのうまそうな野菜を俺もうんと買いてえんだけど、先立つものがなぁ。申し訳ねえが少しまけてくれるかい?」

「もちろんさ、だってこんな御利益を独り占めしちゃあいけねえ。バチが当たっちまうぜ」

「ありがとうよ。じゃあ全部でいくらだい?」

「いくらだっていいよ。今日は気持ちがいいんだ。そっちで値を付けてくれ」

「いいのかい? 悪いなあ。じゃあこれでどうだい?」

「いいよっ、十分だ」

「申し訳ねえなあ、耕治さん。じゃあ、はいっ...あれっ? ごめん、まだお金を渡してなかったようだ。はいっ...あれれっ? 財布の中の金を渡すそばから新たにお金があふれてくるぞ。どうしたんだ、いったい?」

「それ、まさに御利益だよ、商一っつぁん!お地蔵様が俺たちを応援してくれてるんだ」

「そうか、そうだよなっ。こりゃ、ありがてえこった」

しばらくするとここの店の野菜は、とびっきり新鮮でしかも安く量もたくさんあると評判になり、ひっきりなしに客が列をなして買いに来るようになった。

その反動か、あれほどわが物顔だった大型スーパーには、やっぱりというか閑古鳥が群れをなして押し寄せたそうな。

しかし、そこのオーナーも一筋縄ではいかないアイデア・マンであり、押し寄せた珍しい閑古鳥をネタに焼鳥屋を始めたんだと...えっ?

またまたしばらくたったある日の午後、こんどは街の一等地で高級珈琲店を経営している主人の禍笛(カフエ)さんがうわさを聞きつけてきた。

「そうかっ、奴らが地蔵さんにお参りをしたから...。だったら俺は奴らの何十倍も何百倍もさい銭を入れてやる。待ってろよ、地蔵さんよぉ」

そう言ったかと思うとすぐ財布にあふれんばかりのお金をぎっしり詰め込み、お地蔵さん目掛けて一目散。

「おいっ、じじい、じゃねえ、地蔵。この金をここのさい銭箱に全部入れてやっからな。目ん玉ひんむいてよ~く見とけよ。居眠りでもしたらただじゃおかねえぞ。俺は奴らよりもっともっともうけてえんだ。おいっ、聞いてんのかっ」

珈琲店にあったありったけのお金をさい銭箱に入れ、意気揚々と引き揚げてきた禍笛。

店まで来ると、なんとまあ、もう客の行列。「こりゃあすげえ御利益だ。ゴッ、リッ、ヤッ、クッ、それ~っ、ウッフッフ」と、ここまではまあよかったが...。

店に入った客がコーヒーを飲み終えていざ帰ろうとすると、なんとコーヒーがどこからともなく湧いてくるではないか。客は「おっ、こりゃラッキー」とばかり、同じ席に居座り続けた。外では客がまだかまだかと文句を言い始めていた。オーナーの禍笛は「飲み終わった人から勘定をして出てください。外では客が待ちくたびれていますから」というので、「じゃあ飲み終わらなければ出なくってもいいんだろ」と客が尋ねると、「もちろん」とついつい言ってしまった。

さあ、暇を持て余していた最初の客たちは店じまいまで飲み続け、とうとう外で待っていた客はみな怒って帰ってしまった。

さあどうする? 困ったオーナーの禍笛は思案の末、メニューの一番下に真っ赤な文字でひと言書き添えた。

“この店では何が起ころうとも、コーヒーは一杯に限る”

四.妖艶お線香

お互い相死相愛、昼夜“もうもう、死ぬ死ぬ”と口走るほど愛し合っていた二人。

えっ、相思相愛の間違いでは? そんなヤボな...程度の問題なのです。

口では表せないほど、とにかく、すごくゎったのどぅぇす、このお二人は。

しかし時の流れとは残酷なもの。結婚7年目。夜のお務めもすっかりなくなり、いつ以来だったか、それさえ忘却のはるか彼方に追いやってしまった。特急はるかも真っ青なくらいの速さで。

そんなある夜、本日は花金なので久しぶりに同僚と近くの繁華街に出勤し、愚痴話を言い合っては慰め合い、酔いも回ったところで千鳥足でノレンとおさらばし外に出ようとした途端、向こ~うのほうで何やらいかがわしい明かりがこうこうとわれをお呼びでござった。

ふと目をこすって見ると、“ものすごいモノあり”とピッカピカに着飾った看板がわが輩の目ん玉を貫いた。

“お前、男だろ。早く行ってみろよ!”、“いやいや、奥様がお帰りを待っていますよ”、“何言ってやがる、いくじなし!”、“今何時だかわかりますか?優しい奥様のお顔を早く見てあげてくださいよ”。

さぁて、どうしたもんか。思い悩み、思わずズボンの上からギュッ...「おおっ、やっぱり男だ、よしっ」...男ってどうしてこう単純な生き物なのか...。

ということで、いかがわしい、魅力大爆発のお店のドアを遠慮がちにギギ~ッ。

「あ~ら、いらっしゃい。カッコいいそこのお兄さん、今日は何をお探し?」

「えっ、いやっ、外の看板に思わず反応しちゃって」

「そうでしょ。ここに来れば何かあるんじゃないかな~って思うのよ、世の男性は、不思議にも」

「あの薄暗い淫乱っぽい明かりのせいかな」

「そうよ。今風のLEDなんて屁のカッパよ。だって、明る過ぎて心の中まで見透かされちゃいそうで、風情も何もあったもんじゃないわよね」

「だからか。何となく懐かしい怪しげな雰囲気が漂ってきたのは」

「それもそうだけど、けどね、それだけじゃあないのよ。分かる、このにおい?」

「あっ、これってお線香のにおいだよね...えっ、だけど、なんか妖艶な感じがして...」

「そうでしょ、そうなのよ、これって。どういうわけか特に夜になると息子さんが目を覚ますの」

そ~~なんです。このお線香のにおいをかいだだけで体がムズムズンズンしてくるのです。10本束ねて火をつければ、特に世の女性は大変...。

「お兄さん、わかった? このお線香はそんじょショコラの、いえ、そこらのものとは全然違うのよ。何しろ最初は甘~い感じがしてきてね、それから...、でもこれ以上はあまり話さない方がいいわね。早速帰って火をつけてごらんなさい。あ~らら、変な気持ちになってくること請け合いよ。奥さんに火をつけちゃうと今夜は寝不足よ、きっと。でも明日は会社もお休みでしょ...」

「よ~し、そんなに勧めるなら買ってみるか...おっ、けっこう高いぞ、これ」

「そうよ、本物は何でも高いの。でも買っただけの価値はあるわよ」

「わかった。だけど何でもなかったら返しに来るからね」

「どうぞ、ご勝手に。でも今度来るときはその反対よ。病みつきになるから、きっと」

お線香を買うや否や、今までの千鳥足はどこへやら、一目散に来た来、いや、帰宅。

「お~い、今帰ったぞ、ただいま~~~っ」

「お帰りなさ~い。遅かったわね~~~っ」

「何合わせてるんだよっ...まあいいや。フフフフッ、ヘッ、ホッ」

「なによっ、その含み笑い」

「ジャ~ン、このお線香が目に入らぬかっ」

「目にって、袋だけを見せられても中に何が入ってるかわかんないわよ」

「あっ、そうか...“焦るな、焦るな”」

「なに独り言を言ってるの。あなた、まだそんな年じゃあないでしょ」

「おおっ、息子ともども現役でござる、ってとこだな」

「あのねえっ...とりあえず玄関じゃあなくって中に入ったら」

「えっ“中に入る?” お望みとあらば」

「何言ってるのよ。今夜どこかで頭をしこたま打った?」

「そう、しこタマタマ、いやっ、後のお楽しみ!」

スーツも脱がず足早に神棚のある小部屋へ。“今日も一日無事に過ごせてありがとうございます、ご先祖様”、なんてことはこれっぽっちも頭にない。

袋から大事な大事なお宝であるお線香をそ~~っと取り出し、もちろん10本束ねて火をつけ、部屋の戸をすき間なく閉め切り、急いでお風呂に入り体を清めた。

その光景に妻は「とうとう来てしまったわね。でもちょっと早すぎるんじゃない。明日は土曜で会社は休みだけど、病院は午前中開いてるかしら?」

体中から湯気が立ちのぼらんとするほどしっかり湯舟に浸かり、普段はそんなに洗わないところもごしごしのごしっ...“痛(いて)っ”。

風呂から上がり、いつもならタオルを首に巻きビール片手にリビングにお出ましのはずが、本日はバスタオルを腰に巻いたまま神棚のある小部屋へ一直線。

妻はというと、この光景に「やっぱり明日では遅いわ。でももう夜だし、どうしましょう。まだ後家にはなりたくないし...」

夫は何食わぬ顔で部屋へ入ったまま。

「おっ、おっ、何だこの妖艶なにおいは。おいっ、やばいぞ」

あ~ら不思議。このえもしれぬにおいに誘われんばかりに何やら手が引力に負けて...。

それに逆らうように息子は引力そっちのけで...。

「おおっ...こりゃあすげぇ。店の人の言うとおりだ。すぐにかみさんを呼んでこなくちゃ。

“お~~いっ、ちょっとこっちに来てくれ、早く早く~っ!”」

ついにおしまいか、と思った妻は何があってもかくしゃくたる態度を取らねばと、体全体に渾身の力を込めて小部屋の戸をスッと一気に開けた。

「あのねっ、...あらっ、何? このにおいはいったい...えっ、えっ、何だか急に体がムズムズしてきたわ。何か変よ、ねえ。あらっ、最初は胸のところかと思ってたら、どんどん下の方に下がっていくわ。何これ? あっ、どんどん気持ちよくなっていくわよん。ねえ~っ、あなた~ん、この体どうしちゃったの、いったい」

「こりゃあ思ったよりスゲェぞ、うん...おおっ、そうか、そうか。しょうがねえなあ。じゃあ、俺の手を貸してやるか。どの辺だい、いったい。もっと下の方かい?」

「ねえ、あなた~ん、早く~っ...あ~っ、もうだめよ、我慢できないの。早くして~~~早く~っ」

「わかった、わかった。わかったからそんなにせかさないでくれよ。どの辺だい、この変、いや、この辺?」

「もっと下よ、もっともっと...そう、そこ!足の裏の水虫が気持ちよくって、はあ~~~っ」

五.疫病神

大地に張りついた落ち葉とともに白いものが混じって風に舞い始める秋も深まったある日の朝、いつものように読経を終えた住職、たったひとりでぽっつ~んと縁側に座ったきり身動きひとつしない。息も...いや、それは...。目の前の水深50cmもない浅い小さな池に身を投げたくなったことも一度や二度のことではなかった。出ていくのはお金とため息ばかり。

「ふ~っ、うちの檀家は毎年毎年減る一方だし、さてど~したもんかのう。壇家の料金が高い?いやいや、昔から料金は変わってないし...う~ん」

檀家制度は時代に合わないとも言われ始めている。一部の寺では檀家制度の廃止を実行したところもある。しかし、物事が急に変わってすべてうまくいくとは限らない。

悪いことが重なるとさらに悪い方に悪い方にと考えをめぐらせてしまう。

そんなある日、いつもは陰に隠れているはずの疫病神がひょっこり住職の前に姿を現した。

「おいっ、和尚さんよぉ、俺はもうこれ以上ここに居てもしょうがねえから、これでおいとまするぜ」

「えっ、あなたはいったい? あっ!」

「そうさ、天下の疫病神様さ。だけどもうここに用はなくなったってわけ。わかるだろ?」

「まあ、それはそうですけど。お役に立てずすみません」

「そんな愁傷なこと言うなよ、去りづらくなるじゃねえか。...しょうがねえなあ、よしっ、じゃあ最後に一丁もうけさせてやるか」

「えっ?」

「でも、くれぐれもエンマさんには黙ってろよ。俺もエンマさんは苦手だからな。

ところで、どうするか...よしっ、これだ。お前を口達者にしよう。お堂で説教すれば人気の寺になるぞ」

「それはおありがとうございます。南無阿弥陀~、南無阿弥陀~、お札(さつ)何枚だ~」

さあ、疫病神が去った後、住職はほんとに口が勝手にどんどん動くようになり、あっという間に人気住職となってしまい、“この檀家料金でこれだけためになる話を聞けるたぁ、ありがてえことだなゃ”とのうわさがあっという間に広まってしまった。

そうなると、さぁ大変。“われもここの檀家に”と、説教を聞くために檀家を申し込むという、本末転倒ではあるが遠路はるばるわざわざ聞きに来る人も増えたんだと。

「え~っ、わしがここの住職です。世間ではよく“トンビが鷹を生む”なんて言いますが、ここの寺では“スズメが鷲を生んだ”ようでして。話もろくにできなかった舌切りスズメが“わし”になり変わったようで、はい。ありがたいことで。

それでは本日のお話に移りますが...」

あっという間に1年が経った。その住職はというと、小さな庭の池に向かって何やらぼそぼそ愚痴をこぼしていた時とは雲泥の差。札束に向かって何やらぼそぼそ。

「やっぱり世の中、金がすべてだなゃ。金がありゃあ、酒は浴びるほど飲めるし、夜遊びはやり放題だし。あんときの貧困の元はあの疫病神だったんだ。今までひでえ目に遭ってきたんはあいつのせいだ。絶対許せねえ。今度会った時は座布団の下に敷いて“すみません、すみません、住職様、あの時は誠に申し訳ございませんでした”って言わせてみせるぜ。真上から強烈な毒ガスも土産に、うん」

あれ以来、住職は性格も何もまったく変わってしまった。

また時は巡り、秋も深まったある日の朝、いつものように読経を終えた住職が金箔の門の前をなんとはなしに歩いていると、みすぼらしい格好の老人が寺の前のいかにも高そうな御影石の上に腰を下ろしていた。

それを見た住職、「おいこらっ、そんなみすぼらしい奴にそこに座られたら迷惑だ。それに誰かに見られたらそれこそ大変だ。邪魔だからとっとと早く向こうに行っとくれ」

「...」

翌日、今度は身なりのいい老人が昨日同様、寺の前のいかにも高そうな御影石の上に腰を下ろしていた。

それを見た住職、これはうちの檀家に入れたらひともうけできそうだととっさに考え、優しく声をかけた。

「そこは寒いでしょう。ここではなんですから、ささ、中へどうぞ、中へ。暖かい最高級の煎茶でも召し上がれ」とばかり、その老人を寺の中へ誘い入れてしまった。

その老人はニヤ~ッと笑い、「そうかい、そうかい。それじゃあそうしようかねえ、また...」

「えっ、また、って?」

「...」

目に見えないものの評価ほど難しいものはない。

表面上の事実とその裏に隠れた真実は必ずしも一致するわけではない。

個人(人)しかり、組織(社会)しかり。

本音を言いたくても言えない状況もある、いや、それが常であるのかもしれない。

その環境の中でわれわれは日々精いっぱい生きている。

ご苦労さまです。人生に乾杯。

(完)

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