塩野8)消費増税と日本経済・・・(26号)

                  「消費増税と日本経済」

塩野 秀作(76年 商学)

  大阪慶應倶楽部副会長

現在の日本は、デフレ経済で大正と昭和初期の事象と共通点が多い。1986(昭和61)年11月から4年3ケ月続いたバブル経済は、大正時代にもあった。第一次世界大戦(以下第一次大戦と呼ぶ)中の大幅な輸出増加の影響で景気が過熱気味となった1919(大正8)年と翌年の状況は、まさに大正バブルであった。

1920(大正9)年、バブル的好景気から一転して不況に陥った日本は、1931(昭和 6)年までの 12 年間は長いデフレの時代でした。この間、卸売物価は、累計で 55 %の下落、消費者物価は、1922(大正11) 年以降10年間で累計43 %の下落でした。

第一次大戦後の大正バブルで発生した過剰投資が、需給バランスを崩し、その後の日本経済を不況へと向かわせた。さらに1923(大正12)年9月に発生した 関東大震災の被害総額は、日本のGDPの約4割となる55~65億円の巨額であった。これに関連し発生した負債が金融恐慌の引き金になった。

1927(昭和2)年には台湾銀行の営業停止を契機として大規模な取り付け騒ぎが発生した。昭和金融恐慌となり、高橋是清蔵相は、3週間の支払猶予措置を実施した。全国的な金融パニックを収拾するために紙幣を増刷し、金融恐慌を沈静化させた。

長く続いた不景気・デフレ経済の時代には国全体が委縮し、デフレ経済にもかかわらず、国の財政健全化のために「緊縮財政」を優先すべき政策と考え実行した。1930(昭和5)年は国債を発行しない超緊縮予算で公務員給料の引き下げも実施された。デフレ下での緊縮財政の実施で昭和恐慌への道を歩むことになった。

1931(昭和6)年12月、再登板した高橋是清蔵相は、大量の国債発行による積極財政による経済の活性化を図った。1931(昭和6)年~1936(昭和11)年になると国債発行残高の増加は止まり減少に転じた。それにより、日本は最も早く世界大恐慌から立ち直ることができた。

以上のことから、不況下で政府の借金(負債)が増えても、大量の国債発行で景気を回復させれば実質的に借金(負債)は減ることが分かる。デフレ経済に共通の特色は、その期間が長く続くことである。平成の不況では、まず株価や地価という資産価格の下落によってバランスシート問題が浮かび上がり懸念事項となった。そして物価下落が続くと広く企業や個人にも影響を与える。借入金の負担が当初以上に実質的に重くなるので、多くの企業や個人は、まず借入金の返済を優先しようとする。したがって前向きな投資や消費は後回しになり縮小傾向となる。そして、一旦その仕組みが定着してしまうと、そこから抜け出すことは容易ではない。

政府、特に財務省は、プライマリーバランスをとることが財政健全化であるとの方針の下、政策を行っているが、果たしてそれで良いのか? はなはだ疑問である。民間が前向きな投資や消費は後回しになっている今こそ、政府が、必要な社会基盤であるインストラクチャーに大きな公共投資を行うことによって、GDPを拡大させる成長戦略をとることで、民間にお金が十分に回るようにすることが最も大切なことである。それによって景気は拡大し、税収も自然に増加する。増税するよりも政府による大規模な公共投資(支出)が求められている。

デフレ経済で歳出削減や増税などの緊縮財政を選択することは、歴史を振り返れば極めて危険と感じる。2014(平成26)年4月の5%から8%への消費増税、景気の低迷の影響で、10%への増税を1年半延期し、2017(平成29)年4月1日から10%への増税が再延期されたものの、2019年10月1日からの実施が予定されている。デフレ下での増税で国の経済が改善された例はない。1年半後にデフレ脱出し、先進国の中では低い目標である2%の経済成長を達成することは難しい状況である。 歴史は繰り返すと言われるが、現実のものとなると恐ろしい。当時の歴史をしっかり学んでもっとよく研究していたら、バブルとその崩壊による経済の混乱を回避することも可能だったのではないだろうか。今必要なことは歴史に学ぶことである。政府が、過去の失敗を繰り返すことのないようにしてほしい。

(塩野秀作:日本香料協会会長・塩野香料(株)社長)

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