ソフィアの音楽(5)F. Paolo Tosti:Sogno(夢)

F. Paolo Tosti:Sogno(夢)

(フランチェスコ・パオロ・トスティ作曲 )

トスティ初期の傑作。夢のなかでの恋人と愛のやりとりを歌っている。

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次回練習演奏公開予定:2024年3月3日

練習演奏録音(機種・Rakuten BIG):2024年2月29日

 Sogno(夢):  ロレンツォ・ステッケッティ 作詞(伊語)

Ho sognato che stavi a’ ginocchi
Come un santo che prega il Signor,
Mi guardavi nel fondo degli occhi,
Sfavillava il tuo sguardo d’amor.

あなたがひざまずいた夢を見た
主に祈る聖者のような
あなたは瞳の奥深くで私を見た
あなたの愛の眼差しはきらめいていた

Tu parlavi e la voce sommessa,
Mi chiedea dolcemente mercè.
Solo un guardo che fosse promessa
Imploravi curvato al mio piè.

あはたは話しかけた そして静かな声は
私に哀れみを優しく求めていた。
ただ約束の眼差しだけを
私の足元に身をかがめて懇願していた。

Io taceva e coll’anima forte
Il desio tentatore lottò.
Ho provato il martirio e la morte
pur mi vinsi e ti dissi di no.

私は黙っていた そして強い心で
誘惑する願いと戦っていた。
私は苦悩と死を感じていた
けれども自分を抑え あなたに いいえ と言いました。

Ma il tuo labbro sfiorò la mia faccia
E la forza del cor mi tradì.
Chiusi gli occhi, ti stesi le braccia,
Ma sognavo e il bel sogno svanì!

しかし あなたの唇は私の顔に触れ
そして 心の力は私を裏切った。
私は瞳を閉じ、あなたに腕を伸ばした、
しかし私は夢を見ていたのだった そして美しい夢は消え失せた!

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*単語の意味(イタリア語で勉強したい人のために)

sognare/夢を見る
satare/(英:be動詞)
ginocchio/ひざ
santo/聖者
pregare/祈る
Signore/主、神
guardare/見る
fondo/奥
occhio/目、瞳
sfavillare/きらめく、放つ
sguardo/視線、眼差し
amore/愛

parlare/話す
voce/声
sommesso/低い、静かな
chiedere/求める
dolcemente/甘く、優しく
mercè/哀れみ
promessa/約束
implorare/切に願う、懇願する
curvare/曲げる、身をかがめる

tacere/黙る
animo/心
forte/強い
desio/願い
tentatore/誘惑者、誘惑する
lottare/戦う
provare/試す、感じる
martirio/苦悩
morte/死
pure/けれども
vincersi/辛抱する、自分を抑える
dire/言う

labbro/唇
sfiorare/軽く触れる
faccia/顔
forza/力
core/心
tradire/裏切る
chiudere/閉じる
occhio/瞳
stendere/伸ばす、広げる
braccia/腕
bello/美しい
sogno/夢
svanire/消え失せる、なくなる

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フランチェスコ・パオロ・トスティ

現アブルッツォ州キエーティ県オルトーナに生まれる。幼くしてヴァイオリンの神童として知られ、1858年、12歳にしてナポリ音楽院に入学、ヴァイオリンと作曲の研鑽を続ける。当時の作曲の師にはサヴェリオ・メルカダンテも含まれる。在学当時には、教官助手も務めていた。1866年、ヴァイオリンでディプロマ取得し、その時期から歌曲を作曲しはじめている。その後、20代前半で故郷オルトーナに戻り、オルガン演奏・指揮者の職に就いた(教官助手の激務などから健康を害し、静養に入っていたという説もある)。そこで書き溜めた小歌曲集が認められ、1875年頃からはローマをはじめとするイタリアで盛んにサロン用歌曲を発表する。やがてトスティはイタリア王室の声楽教師、1880年ごろからはロンドンに移住しイギリス王室の声楽教師となる。1906年には英国臣民となり、1908年には準男爵に叙せられた。1912年にイタリアに戻る。狭心症に1915年ごろから苦しめられている中でも、少なくとも1916年(没年)の秋まで作曲していたと見られるが、その年の初冬に病状が悪化し、12月2日、ローマで他界した

英語は一言も解さなかったとの説もあるが、母語のイタリア語のみならず、英語やフランス語を原詩とする多くの歌曲の小品を作曲、その多くが今日でもリサイタル用ピースとして愛されている。イタリア語に関しては、17歳年下の詩人ガブリエーレ・ダンヌンツィオとのコラボレーションは少なくとも33曲におよび、中でも歌曲集「アマランタの4つの歌」が特に有名である。

『ウィキペディア(Wikipedia)』より

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