シューベルト~その深遠なる歌曲の世界4-⑤:最終回~・40号
「Schubert~その深遠なる歌曲の世界~」(4-5)
杉本知瑛子(97、文・美(音楽)卒)
~前回『冬の旅』(4-4)からの続きです。~
シューベルトの死に対する憧れや不安は、シューベルトの作った寓話的物語『僕の夢(1822.7.3)や、詩『我が祈り』(1823.5.8)、また1825.7.25、ウィーンの両親に宛てた手紙、さらにバウエルンフェルトに言った言葉(『若干のこと』1869.4.21)などからも理解することができる。
(1)『僕の夢』(1822.7.3 F.シューベルト)
「僕には兄弟姉妹が沢山いた。両親は善良で、僕はみんなが本当に好きだった。ある時、父は僕たちを宴会に連れて行った。兄弟は皆、楽しそうだったが、僕は悲しかった。そこで父は僕に歩み寄ると、豪華なご馳走を味わうように命じた。
でも僕にはそれができなかったので、父は怒って僕を勘当した。僕は立ち去ったけれど僕の心は、僕の愛をはねつけた人たちへの限りない愛で一杯だった。
僕は異国をさまよった。何年もの間、大きな苦しみと大きな愛情が僕を引き裂くのを感じていた。
母の死が知らされた。僕は母に会うために急ぎ、父も悲しみのために心を和らげ、僕が家に入ることを拒まなかった。
母の亡骸を見ると、涙が目から滴り落ちた。亡くなった母の思い通りに僕たちが振舞っていた昔の良い時代と同じように、母が昔さながらに横たわっているのを見た。
僕たちは悲しみに沈んで母の亡骸に従い、棺を埋めた。この時から僕は再び家に戻った。
すると父はもう一度僕をお気に入りの庭へ連れて行き、気に入ったかと尋ねたが、僕にはその庭がいやでたまらず、何も言うことが出来なかった。父は怒って赤くなりながら、気に入ったかと再び尋ねた。僕が震えながらいいえと答えると、父は僕を殴りつけ、僕は逃げ出した。再び僕は立ち去ったけれど、僕の心は、僕の愛をはねつけた人たちへの限りない愛で一杯だった。またも僕は異国をさまよった。何年も何年も、僕は歌い続けた。
僕は愛を歌いたかったのに僕が歌うとそれは苦しみになった。今度は苦しみを歌いたいと思うと、それは愛になった。こうして僕の心は愛と苦しみに引き裂かれた。
ある時、最近に死んだ朗らかな乙女のことを知った。彼女の墓標の周りには輪が描かれ、その中では多くの若者や年寄りがいつまでも、まるで幸福の世界にいるかのようにさまよっていた。彼らは乙女を起こさないように小声で話していた。
天国の思いが乙女の墓標から絶えず若者達の上に、明るい火花のように降り懸り、徴かなざわめきを引き起こしているようだった。僕もそこをさまよいたかったが、奇跡が起こらないと輪の中には入れないと人々は言った。僕はゆっくりした足取りで、深い敬虔の念と確かな信仰心を持って、墓標に眼差しを落としながら歩み寄った。僕がそう思いこんでいると、いつの間にか妙なる音に満ちた輪の中にいた。一瞬の内に永遠の幸福に満たされているのを感じた。そして父と和解し、愛を持って見た。父は僕を腕に抱き、泣いていた。僕もそれ以上に泣いた。フランツ・シューベルト」
(訳・村田千尋)
この散文詩は、ノヴァーリスのスタイルを模倣した寓話的物語であるが、一般に自伝的ともいえる記録とみなされている。この詩はシューベルトのあらゆる芸術活動の基本的な公式を示していると思えるので、大変重要な記録である。
(2)『わが祈り』(1823.5.8.)
「聖なる不安への深い憧れが
更なる美の世界を求め、
暗闇の空間を
全能の愛の夢で満たそうとする。
主よ!息子に
報いとして過酷な苦しみを与えたまえ、
そして最後の救いに
あなたの愛の永遠の光で照らしたまえ。
見よ、打ちひしがれて塵の中に横たわり、
犠牲となって果てしない苦悩を背負い、
わが人生の苦しみの道は
永遠の破滅へと近づく
破滅し、私も自らを葬り、
全ては地獄のレテ河へ落ち、
純粋な力あるものを
おお、偉大なる方よ、栄えさせたまえ。 1823年5月8日 フランツ・シューベルト」
(訳:村田千尋)
(3)ウィーンの両親に宛てた手紙(1825年7月25日)
「皆さん健康だということで喜んでいます。そしてーああ神よー私自身も健康なのです。
「フェルディナントは・・・・・・・・77回も病気をして、その内9回はほとんど死ぬのではないかと思われていました。まるで、死こそ我々人間に降り懸かる最大の不幸であるかのように。
彼がこのすばらしい山々や湖をちょっとでも見ることができたら、計り知れない大地の力に包まれて新しい生活を始めることこそ大きな幸せだと考えることができないくらいなら、取るに足りないような人間の命など好ましくないと考えることでしょう。」
(訳:村田千尋)
この手紙の中で、兄フェルディナントに対して、心気症をあまり気にしないようにと注意している文は、彼の死に対する態度を理解することができる。
(4)『若干のこと』バウエルンフェルト(1869年4月21日)
「哀れな楽師の僕に、何ができるというんだ?僕は、やがて、ゲーテの竪琴弾きのように、年老いて、戸口から戸口をさまよい、パンを物乞いして歩かなければならなくなるだろう。」
(訳:村田千尋)
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(完)
長期間のご講読どうも有難うございました。
(杉本知瑛子:元声楽研究家)
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《参考》
◎当時の文学の世界に君臨していた巨人ゲーテやシラー。そしてカントの哲学(1790年代には全てのドイツの大学でカント哲学が講ぜられ、カント哲学は当代ドイツの一般教養となっていたから、シェリングのロマン主義哲学に至る過程は、シューベルトが意識しようとしまいと、それはドイツの文化として、また当時のドイツの精神として、彼の家族と友人達と同じように、シューベルトの心の奥深くに影響を与えていたと考えられる。
思想とは、意識しているから思想なのではなく、無意識の中でもその文化の中で生きている限り、我々は常にその影響の中で生活し考えているものである。(「シューベルト3-2」より)
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◎シェリングにおける、分極性の対立概念(物質の本質である斥力と引力、磁気ではS極とN極、電気では陽電気と陰電気との分極的対立)は、自然を哲学する当時のロマン主義哲学者達の基本原理であった。
シェリングは、また芸術的表現の最高のものは象徴的表現であると考えた。
象徴とは、普遍と特殊との絶対的無差
「真理は神的なるものと同様に、われわれには直接認識されえない。われわれがそれを見るのは、ただ反映、例示、象徴においてだけである。われわれは、そこに把握しがたい生命を認めざるをえないが、それにもかかわらず、理解したい望みを断念することはできない。」(JA.40,55)
(JA.=ゲーテ発行の雑誌『形態学のために』)
「特殊なものが、普遍的なものを、夢想や幻影としてではなく、探求すべからざるものの、生きた瞬間的啓示として表現するところに、真の象徴がある。」(JA.38,266)
「芸術的表現の最高なるものは、象徴的表現である。象徴とは、普遍と特殊との絶対的無差別である絶対者を、特殊の内に表現する唯一の可能な方法である。それは、図式的(悟性的思惟)と比喩的(行為)という二つの表現法を統一せるものである。象徴においては、意味と存在は同一であり、神々の姿は、そのまま実在的なるもの、存在そのものである。」
(『十九世紀の哲学』立野清隆著、世界書院、S.56)
このように、シューベルト時代の時代精神の潮流を考察すると、ドイツにおける小国分立主義と絶対主義の必然的結果と考えられる、田園小説や民話や民謡など、ドイツ文化の豊かさから引き継がれた、ロマン派運動という文学界の流れがあった。
この文学運動と相まって、哲学においても、スピノザの哲学(神即自然)が、ギリシア的汎神論と結びついて多くの支持を受けていた。
ヘルダーやゲーテ、ベートーヴェンなどの自然観は、スピノザからの影響であると考えられていた。
シューベルトが尊敬し、最も多くの影響を受けていたと考えられる、ゲーテやベートーヴェンなどとも親しい、ロマン主義哲学者シェリングは「主観=客観」という分極性の対立概念の統一としての自体存在が、「自然」であると考えていた。そして、芸術は自然の完成であり、その芸術的表現の最高のものは、象徴的表現である、と考えたのである。
こうしたロマン主義思想という新しい潮流の中で、シューベルトは官吏や文学者や芸術家など、多くの知識階級の友人達とともに、その時代精神の中で生きたのである。
リートにとって詩とは重要な要素であり、歌詞として詩を伴っているということが、リートの音楽としての特殊な位置づけの条件でもあるのであれば、詩が文学作品である以上、その作品の持つ文学性(思想性)に、音楽内容もその制約を受けずにはいられないのは当然である。
(「シューベルト3-3」より)
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◎「真理は神的なるものと同様に、われわれには直接認識されえない。われわれがそれを見るのは、ただ反映、例示、象徴においてだけである。われわれは、そこに把握しがたい生命を認めざるをえないが、それにもかかわらず、理解したい望みを断念することはできない。」(JA.40,55)
(JA.=ゲーテ発行の雑誌『形態学のために』)
「特殊なものが、普遍的なものを、夢想や幻影としてではなく、探求すべからざるものの、生きた瞬間的啓示として表現するところに、真の象徴がある。」(JA.38,266)
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◎ シューベルトにとって『冬の旅』は死の景色の中の旅である。
旅人はシューベルト自身の自画像であると考えられるし、どの言葉も彼の苦しみの表現・象徴となっている。苦しみの歴史が24の曲となって示され、解消することの無い諦めの内に終わる、極めて陰鬱な悲観論のような曲である。
『冬の旅』の中で、恋人に象徴されるものは憧れの対象である。
それは『冬の旅』第23曲目の「幻の太陽」で歌われるように、希望・愛・生命であり、またそういったものに満たされているユートピアへの願望でもあると考えられる。
ミューラーのこの田園詩は、田園詩であるがゆえにギリシア時代のプラトンのユートピア(『国家』“Politeia”)より続く牧歌の伝統としての、楽園幻想を含むと考えられるのである。
幸せだった昔の自然に抱かれていた悦び、そして今、自分を取り巻く現実の世界の苦しみ。
それらの対比が、より深い悲しみとなってゆくのである。
こういった楽園幻想を内在させる田園詩は、『冬の旅』の場合、まさに楽園(恋人)への夢と絶望の詩となっていったのではないだろうか。
シューベルトの場合は、その田園詩における楽園幻想の諦念と現実のシューベルトの絶望が、みごとに一致したところで、『冬の旅』の作曲がなされたと考えられるのである。
(本稿「シューベルト2-4」でも述べたとおり、シューベルト歌曲約600曲の中、同時期に1つの詩で2曲作曲している作品は約40曲、3~5曲作曲している作品は5曲ある。それらに比べると『冬の旅』24曲中6曲が、2種類の作品であるということは、シューベルトの『冬の旅』への愛着が、並ではないということが窺える。)
*シューベルトの絶望
1、初恋の女性(テレーゼ・グロープ)への失恋。
2、音楽家としての社会的地位に恵まれなかったこと。また経済的困窮から抜けられないという絶望感。
「哀れな楽師の僕に、何ができるというんだ?僕は、やがて、ゲーテの竪琴弾きのように、年老いて、戸口から戸口をさまよい、パンを物乞いして歩かなければならなくなるだろう。」
(バウエルンフェルト『若干のこと』1869年4月21日)
3、オペラ作曲の失敗。
これは当時の検閲が厳しく、シューベルトは政治的要注意人物として、警察のブラックリストに載っていたことも災いして、台本に恵まれなかったということが、大きな原因であると考えられる。
4、慢性の頭痛と性病による絶望感。 (「シューベルト3-4」より)
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◎シューベルト自身の発言によって、彼にとって、本来愉快な音楽などは存在しない、ということは分かっているが、その彼ですら、以前にこれほど苦悩を扱った変奏の連続を作曲したことはなかった。
シューベルトにとって『冬の旅』は、死の景色の中の旅であった。(「シューベルト4-1」より)
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◎シューベルトが『冬の旅』ほど推敲を重ね、変更を加えた作品は少ないが、それゆえに、ここにはシューベルトの歌曲のすべてが見出せる、といって過言ではない。
シューベルトが、この作品を短期間にどれほどの緊張をもって書き下ろしたのかは、シュパウンの報告〔「記録」1858年〕からもよくわかる。
“・・・・・彼は「今日、ショーバーのところに来ておくれ。君達に恐ろしい歌曲集を歌って聞かせたいのだ。君達がそれをどう言うか、とても楽しみだ。この曲は、他のどのリートよりも、ずっと苦しんだのだ」、と言った。・・・・・(「シューベルト4-1」より)
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◎シューベルトは、『冬の旅』において、今までの曲以上に単純さを保っている。この単純さが極度に主観的なこの曲の感傷を避けていると考えられる、が、また彼は音楽的着想をモチーフとして繰り返し使うということは全く行っていない。
しかし、一曲一曲の状況は、非感傷的に結び合わされており、それらは新たな絶望の都度、予期しない絶望との対決を迫ってくる。『冬の旅』は、全体が高度な統一をもった楽想で一貫されている。
各曲を結び付けているその楽想は、内的なもの・心理的なものの中にあると考えられる。
シューベルトは「僕は、この歌曲集が、他のどの曲よりも気にいっている。君達もじきに気に入ってくれるだろう。」と言った。” (「シューベルト4-1」より)
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◎『美しき水車小屋の娘』では、伴奏はロマン主義的風景の動き、つまり、せせらぎや流れ、などは多様な分散和音と具象的な運動音型によって表現されていたのであるが、『冬の旅』では、ロマン主義的和声法といわれている、大胆な転調や異名同音による転換などにより、より内面世界と自然が一つになり、動きの少ない単純な曲でありながら、そこに内在させる複雑さは驚くほどである。 (「シューベルト4-1」より)
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◎主人公は、その自分の姿を次のように表現している。
“Es ist nichts als der winter, Der Winter kalt und Wild!”
(それこそは、冷たくて荒々しい冬以外の何ものでもない!)
ドイツの厳しい冬の自然、それこそが自己の心なのだ、とこの第18曲ではっきりと言っているのである。“冬の旅”とは“自己の心の旅”であると、この詩の中ではっきりと言っているのである。
異名同音による転換などにより、より内面世界と自然が一つになり、動きの少ない単純な曲でありながら、そこに内在させる複雑さは驚くほどである。
(「シューベルト4-2」より)
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◎ここに至って、勇気は主人公の力となり、
“Will Kein Gott auf Erden sein , Sind wir selber Goetter!”
(この世に神が存在しないのなら、我々こそ神になろう!)
と、苦悩の中で神を否定し、そして現実の否定と超越を試みるのである。
しかし、最後の4小節の後奏は最初のg moll(ト短調)に戻り、前奏部と同じメロディーがf(フォルテ)で繰り返される。そこで我々は、このf(フォルテ)とmoll(短調)により、彼の勇気は、空しく、悲しい勇気であり、苦悩の超越は、いまだ不可能であることを理解するのである。~
シューベルトは詩に曲を付けることにより、この勇気の性格を単なる勇気でなく、苦悩の中の弱々しい自分と必死に戦っている主人公の精神の姿として表現している。
シューベルトは音楽を使って、歌詩の性格つまりは主人公の精神をより明確に表現することに成功したと考えられるのである。 (「シューベルト4-2」より)
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◎諦念とは、低次元的には主情的で過去への執着と、執着からの開放を望む嘆きの観念であり、高次元的には現実を直視しながらも、客観的で合法則性的必然性を達観する観念である。
(参考:ゲーテの自伝『詩と真実』)」より)
*『詩と真実』(ゲーテの自伝)
これは、当時の諦念についての考え方である諦念について「部分的諦念」と「全体的諦念」について述べている。
少し説明を加えれば、「部分的諦念」とは思うようにならない人生に対し、無常なものの観察によって人生の虚しさに嘆声を発するような諦念。部分的諦念には否定の精神が働いて、積極的行いへの志向がみられない。
「全体的諦念」とは、無常なものの観察によって永遠なるもの、必然なるもの、法則的なるものの確認、いいかえれば、合法則性的必然性を観ずることである。
さらに言いかえれば、個々の無常に恋々として執着せず、また「いっさいはむなしい!」と面をそむけることも無く、それを直視して、そこに永遠的な合法則性的必然性を達観することである。
(「シューベルト4-3」より)
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◎少し横道にそれてしまったようだが、ゲーテのこの「諦念」観を、ここで借用して考えてみれば、シューベルトはこの諦念についても、個々の曲では部分的諦念であるにもかかわらず、全曲を通してみると、全体的諦念に至っていると考えられるのである。
個々の曲は、原調では主観的・感情的な雰囲気の強い音楽になる。
(移調によるバリトン演奏では、曲の雰囲気が変り観念的な雰囲気が強くなる。)
しかし、全曲を通すことにより、合法則性的必然性を観ずることは可能である。
ゲーテの言葉を借りていえば、ここにも「主観的な部分的諦念」と「客観的な全体的諦念」の対比を見ることができる。
(「シューベルト4-3」より)
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◎シューベルトは、最後の『辻音楽師』(Der Leiermann)には(a moll:イ短調)と(h moll:ロ短調)の2曲を作っている。現在『冬の旅』で原典版として出版されている楽譜は、a mollの曲で、低音域の5度の響き(繰り返される左手のドローンの響き)は702セント、純正の響きである。
それゆえに、個々への執着による不安のない、一種の安らぎの音をそこに認め、客観的な全体的諦念をそこに見ることが可能なのである。
もしこれがh mollの曲であるなら、低音の5度は696セントになり、その響きには現実の苦悩に嘆声を発する心を象徴するかのような、不安さの内在を認めざるをえないであろう。
その場合、『冬の旅』は、個々への執着による嘆きの曲、つまり、部分的諦念の音楽としかならなかったかもしれない。
シューベルトは歌曲集最後の曲としてa mollの曲を選んだのである。
このa mollの曲を最後に置くことにより、それ以外の23曲と異質には感じても、この曲『辻音楽師』は、連歌集『冬の旅』全体の余韻ではなく、『冬の旅』全体のテーマの結論ともみなせる曲となっている、と考えられるのではないだろうか。
もちろん、それは急に全体的諦念になったわけではなく、『辻音楽師』以前の曲で主人公の主情的であった諦念は変化しているのである。
(「シューベルト4-3」より)
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◎第20曲『道しるべ』(Der Wegweiser)
前半の2つの詩節は、過去の苦しみから逃避してきた現在の状況を歌っている。
しかし、最初の詩節は(g moll:ト短調)で、悲痛の中で歌詩がつぶやかれるが、第2詩節では(G dur:ト長調)になり、明るい透明な和音の響きの中で歌詩がつぶやかれる。
同じ現在の状況を歌っているにもかかわらず、苦痛の状態の中でシューベルトが使った明るい響きは、主人公の精神の変化を我々に語りかけずにはいられない。それは、過去への執着という諦念からの脱出への努力を、その明るい響きで我々に感じさせている。
第3詩節で、主人公はそれまでのさすらいの旅を、
“Ohne Ruh’,und suche Ruh’.” (憩いなく、憩いを求めて。)
といっている。
つまり、諦めてはいても諦めきれない過去への執着を引きずって、さすらいの旅を続けてきたのである。
そして、第4詩節ではこういっている。
“Eine Strasse muss ich gehen, Die noch Keiner ging zuruek.”
(その道を私は行かねばならない、誰一人帰ってきた者のない、その道を)
ここには過去への執着の念はもう見られない。
ここにおいて、主人公は過去への執着と決別するのである。
その決意を示すかのように、歌のメロディーは動かない。
伴奏はその決意の悲壮さを表わすかのように、その詩節の第1小節目は減7の不安な響きを、弱々しい歩みのリズムとともに使っている。
この減7の不安な弱々しい響きこそ、主人公の低次元の諦念からの脱出という決意に対する想いを表わしている。 (「シューベルト4-3」より)
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◎第23曲『幻の太陽』(Die Nebensonnen)では、もう過去への執着から開放されている。
(部分的諦念からの解放)。
太陽は、ゲーテによればイデーであり根本現象である。『ファウスト』において、ファウストがアルプスの頂近くの美しい草原で眠りから覚め、昇ってくる太陽を待っている時、その輝く光に耐えかねて「太陽はおれの背後にとどまっていてくれ!」と言っている。
ゲーテだけでなく、当時の思想として太陽は最も普遍的なものとしてとらえられていたのである。
ミューラーはその太陽に、「希望・愛・生命」を、そして沈みゆく「第3の太陽」に「死」を象徴させた。 (「シューベルト4-3」より)
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第23曲『幻の太陽』(Die Nebensonnen)
ここでは、主人公は過去に持っていた3つの太陽を想い、最もすばらしい2つの太陽が沈んでしまった現実を想っている。しかし、もう過去に執着していない。
“Im Dunkeln wird mir wohler sein” (闇の中にいる方が、私はよほど快いだろう。)
この言葉を、主人公は悲しみの中で歌ってはいない。Adur(イ長調)のコラール風な柔らかい穏かな響きの中で歌っているのである。
テンポもNichit zu langsam(ゆったりしすぎない)であり、この曲には悲しみも弱々しさも入ってはいない。
主人公は、穏かな和音の響きの中で過去の3つの太陽を想い、死の暗闇の中にいる自分を想っている。Adurの、この穏かな和音の響きを持つ、この音楽そのものが主人公の行き着く諦念の響きであり、そしてこの曲の場合、それはまた死への想念でもある、と考えられる。
(「シューベルト4-4」より)
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◎シューベルトは、また、よくゲーテの竪琴弾きに自分自身を例えて考えていたが、この辻音楽師も、そこに自分の姿を重ね合わせていたと考えるのは妥当であろう。
シューベルトは、ここに歌とピアノの断片的な連鎖の反復を使用している。
反復という手法は一般的に、絶頂と爆発とに通じる盛り上がりに結びついているものである。
例:『糸を紡ぐグレーチェン』(Gretchen am Spinnrade D.118)
しかし、『冬の旅』第20曲『道しるべ』における反復も、第24曲『辻音楽師』における反復も、そこにあるのは感情の爆発ではなく、諦念のみである。
シューベルトは反復という手法で諦念という感情の凝縮を表現したのである。
(「シューベルト4-4」より)
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『辻音楽師』は、それ以外の23曲と異質には感じても、連歌集『冬の旅』全体の余韻ではなく、『冬の旅』全体のテーマの結論ともみなせる曲なのである。
そしてここで初めて、ロマン主義哲学の“「主観的な部分的諦念」と「客観的な全体的諦念」の対比”から「主観=客観」という分極性の対立概念の統一が実現されるのである。
『冬の旅』とは、まさしくリートという音楽で表現したロマン主義哲学そのもの、と言えるのではないだろうか。 (杉本知瑛子)
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