天川28 )新生日本建設の時代3)・・・39号

    新生日本建設の時代(3)

     戦後見失ってきた三つの柱の再興

                        天川 貴之(91、法・法律)

第三節 経済的精神の不在について

第二に、戦後日本に見失われてきたものとして、「経済精神」を挙げたい。これは、日本にあっては、資本主義の精神と言ってもよいものである。

資本主義の精神を考察することで世界的に著名な業績を残された方は、マックス=ウェーバーである。

普通は、資本主義というものは、高度な技術革新であるとか、資本の蓄積であるとか、こうした物質的なるものを成立の直接原因と考えがちであるけれども、実は、その根本には、精神があり、理念が必要なのである。確固とした資本主義の精神があって初めて、資本の蓄積や技術革新を素材にして、資本主義社会が形成されていくのである。

この資本主義の精神の背後にあるものは、マックス=ウェーバーによると、「プロテスタンティズムの精神」であると云われる。

本来、キリスト教圏においては、聖書に、「神と富の二つの主に仕えることは出来ない」「富者が天国の門に入るのは、ラクダが針の穴をくぐるより難しい」と説かれているように、富を稼ぎ、蓄積することを否定的に考える傾向があった。

しかし、プロテスタンティズムの宗教改革以降、経済行為の内に宗教的正統性が付与され、「世俗内禁欲」の精神態度(エトス)が生まれ、それが原動力となって、資本主義の発展が見られるようになったと言えるのである。

このように、資本主義の原点には、深い宗教的精神性が本来流れているはずであるのに、特に、戦後日本の経済復興においては、一部の例外を除いて、外形のみの資本主義が発展し、その精神が不在であったと言える。ここに、戦後七十年の日本経済の最たる危うさがあるのである。

本来の目的や方向性を見失った経済発展は、どんなに外観的に繁栄しようとも、砂上の楼閣である。資本主義の拠って立つ所の基盤そのものが、そもそも不毛なる砂の大地であったのである。その影響は、様々な所に派生している。

例えば、プロテスタンティズムの世俗内禁欲においては、あくまでも、利他行としての仕事の結果としての利潤が肯定されたのであって、その目的に利潤の追求を置くこと自体は、あくまでも悪徳とされていたのである。

ところが、戦後七十年の日本の企業のあり方を見てみると、ほとんどが利潤追求のみを目的とした経済至上主義であることに気づく。これでは、経済とは、愛の原理としての繁栄でもなければ、精神的救済や精神的向上に基づく発展でもない。

このように、経済的精神そのものが無視され、疎かにされるあまり、本来、幹とされるものが、既に崩壊してしまっていると言えるであろう。

これは、独り、プロテスタンティズムの倫理のみに限られることではなく、普遍なる自然法が要請することであって、例えば、それが、日本では、仏教や儒教として顕われてもよいのである。

山本七平氏も指摘されている通り、それは、本来、貪欲を戒め、金銭や世俗に対する無執着を説く仏教の伝統にあって、鈴木正三が唱導された、仕事の中に仏行があるという世俗内禁欲や、石田梅岩や渋沢栄一等に代表される、仕事の中に儒教の道があるという世俗内禁欲となって顕われてもよいのである。

確かに、戦前の日本資本主義の始まりにおいては、精神が確固としてある傾向があったのである。それが、戦後、敗戦から高度経済成長にかけて、急速に見失われてしまったのである。

人間でも、精神や心が無くなれば死を迎え、肉体が朽ちてゆくように、日本資本主義も、個々の企業も、精神や心が無くなれば、崩壊してしまうものなのである。今の大不況を大局的に観じてみると、その主たる原因の一つに、経済的精神の不在があると言えるのである。

先程、一部の例外を除いてと断ったが、戦後七十年の歩みの中にも、新たなる資本主義の精神を形成することに貢献した方も、無い訳ではない。例えば、松下幸之助氏や稲盛和夫氏などは、利他を目的とした経営を経済繁栄の原理とされていることは、注目に値する。

しかし、こうした心や精神の大切さに着眼し、理念ある経営をモットーとして本当に実践している方は、ほんの一握りであり、全体的な傾向としては、経済的精神不在の時代が続いたと言えるのである。今は、その総決算の時期にあたっているとも言える。

故に、今こそ、新たなる経済的精神、新たなる世俗内禁欲の精神を創出し、日本の屋台骨としてゆく経済思想家や哲人経営者の出現を時代が要請していると言えるであろう。

さて、先程は、主としてプロテスタンティズムの倫理を挙げたが、かのアメリカを例にとってみれば、経済的な国民的エトスとして、「アメリカンドリーム」の成功哲学に基づく「積極的精神態度」をも考慮に入れてゆくべきであろう。

かつて、アメリカで大恐慌が生じた時に、それからアメリカ経済を救済した原動力となったものは、一つは、確かにケインズ経済学の政策であったと言えようが、もう一つは、ナポレオン=ヒルを始めとする、エマソン以来の「成功哲学」であると言えるのである。

大恐慌当時、ナポレオン=ヒルはルーズベルト大統領の顧問官を勤め、数多くの成功哲学的政策を実施されているし、その後の世界の五十%のGDPを占めるに到るまでの経済的大発展の原動力となったアメリカの起業家達の多くが、「私は、この成功哲学によって成功と繁栄を勝ち取った」と証言されていることからも、その真実が明らかであると言えよう。

成功哲学の根幹とは、「念いは実現する」ということであって、積極的で明確なビジョンとして、夢を描き続ければ、光明信念は必ず実現するという心の法則にある。

このように、プロテスタンティズムの愛の原理に加えて、積極的に夢を描いてゆく希望の原理が、アメリカの大繁栄の源となっていたのである。

こうした視点から戦後七十年の日本経済の発展を見てみると、数多くの起業家がジャパニーズドリームを実現してきたと言えるが、まだまだ充分に、大いなる夢を描き、実現してゆくことを良しとする風潮が少ないと言える。

私は、今の大不況を克服する一つの鍵は、新たなるジャパニーズドリームの経済的精神態度を国民的に確立してゆくことではないかと思う。

こうした大不況の大波が日本を襲っている時期だからこそ、大志をもって船出し、この大不況を克服して日本を繁栄に導く原動力となろうと決意する信念の起業家達が大いに望まれるのである。

今の経済的逆境の大波と戯れ、己が信念と経営能力と商品開発力を鍛えに鍛え、成長させることの出来た起業家達が、新しき日本を建設してゆくのであると私は信じている。

しかし、同じジャパニーズドリームであっても、今後の日本に求められているのは、先程から論点にしている所の、高度な精神性を土台にした「精神的ジャパニーズドリーム」であると言えよう。

経済的精神を確固として内に秘め、心ある経営、理念ある経営をしてゆく大志ある創造的起業家こそが、今後出現してゆかなくてはならない時代に来ているのである。

そして、特に、精神文化を高めるような方向にこそ新しいビジネスを開拓してゆくことによって、経済的GDPを高めると同時に、大いなる文化的GDPをも高めてゆくような起業家が重要である。

また、「精神的ジャパニーズドリーム」の風潮を創出してゆくことは、日本資本主義に経済的精神を与えるのみならず、大きな有効需要をもたらすことになる。

日本国民には、まだまだ一千兆円以上の金融資産があり、企業にも官庁にもそれぞれ多くの金融資産がある。これらの資金が、精神的ジャパニーズドリームに向けて国民的国家規模で投資され始めれば、今の大不況など一気に吹き飛んでしまい、日本は前代未聞の大好景気の時代を迎えることになるであろう。しかも、大好景気の中から、文化大国日本が建設されてゆくことになるのである。

このように、今の日本の資本主義を救い、真なる繁栄へと導く鍵は、これより後の新しき経済的精神の興隆であり、「精神的ジャパニーズドリーム」の興隆なのである。

こうした国家目標に向かって、個人一人一人が、企業一つ一つが、そして、政府も心を一つにして挑戦してゆく時期、そこから日本に新しい時代が始まる。

危機の時代の意味を看守し、その奥にある成功の種子を洞察し、さらに、逆境を転じて、最高の光明世界、理想世界を、日本に、世界に実現してゆくことこそ、戦後七十年を迎えるにあたって、日本国民一人一人が志すべき聖なる使命なのである。

(続く)

(天川貴之:JDR総合研究所代表・哲学者)

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