ソフィアさんちのチルちゃんと僕(99)~交詢社とシューベルティアーデ(2-1)

「おひさしぶりで~す!」

「暑い夏も過ぎてもうすぐ読書の秋になるね、頑張ろう!」

「クーちゃん元気がいいわね。」

「うん、海は無理だったけど山へは何回も行ったよ、もう満足だ。」

「さあ、今回はどんなお話になるのかなあ、楽しみだ!」

「さすがクーちゃん、西洋のきれいなお姫様を早く見たいのね。うふふ

じゃあ、始めますね。」

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《交詢社〕と〔シューベルティアーデ2-1》                                  

《1、前回は福澤諭吉が作った社交クラブ「交詢社」について述べたが、今回はヨーロッパにおける友人達の集い(社交クラブの一種か)、「シューベルティアーデ」について述べてみようと思う。

シューベルトを中心として、彼の友人達である詩人、画家、学者などが集まリシューベルトの歌曲やピアノ曲の演奏を楽しみながら、様々なゲームや会話に興ずるサークルが存在したが、これをシューベルティアーデ(シューベルトを囲む音楽の夕べ)という。

このシューベルティアーデでは音楽だけでなく、文学、哲学、歴史や政治問題までも話し合われたことが分かっている。

シューベルトの親しい友人達の中には作家や詩人が多く、バウエンフェルト(喜劇作家)、

クーペルヴィーザー(兄は劇作家、弟は画家)、マイアーホーファ(詩人、心気症から自殺をした)、

ショーバー(画家、作家、俳優)、シュヴィント(画家)、ゾンライトナー(法律家)、

シュパウン(兄は国家官吏、弟は歴史と文学の研究者でオーストリア民謡の収集家)、ゼン(詩人)、

ブルッフマン(哲学者)、フォーグル(法律家、歌手;ハイ・バリトン)、などシューベルトの伝記によく登場してくる人物達がいる。

シューベルトの多くの友人・知人たちはそのほとんどが芸術家であれ官吏であれ、ドイツの知識階級の人々である。シューベルトの音楽は、そういった友人達との生活や交流で大いに刺激を受け、彼らからいろいろな知識を得ていたことは疑いようがない。

当時の文学の世界に君臨していた巨人ゲーテやシラー。そしてカント哲学(1790年代には全てのドイツの大学でカント哲学が講ぜられ、カント哲学は当代ドイツの一般教養となっていた)から、シェリングのロマン主義哲学に至る過程は、シューベルトが意識しようとしまいと、それはドイツの文化として、また当時のドイツの精神として、かれの家族や友人達と同じように、シューベルトの心深くに影響を与えていたと考えられるのである。

思想とは意識しているから思想なのではなく、無意識の中でもその文化の中で生きている限り、われわれは常にその思想の影響の中で生活し考えているものである。》

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