ソフィアさんちのチルちゃんと僕(100)~交詢社とシューベルティアーデ(2-2)

「チルちゃん、僕・・・シューベルトの音楽ってやさしくきれいな音楽だと思ってた・・・」

「そうね、誰でも“のばら”や“子守唄”のようなやさしいうたを想像するわね。でもね、日本語で歌う“のばら”や“子守唄”はドイツリートとは、まったく別物の歌になるのよ。日本語で歌う歌は“童謡”でしかないって、いつもソフィアさんが言っていたわ。」

「ふうん、僕はきれいだったら何でもいいよ。」

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《交詢社とシューベルティアーデ2-2》

《2、シューベルトの音楽もまた、ゲーテやシラー、カントやシェリングの思想と合致する点が認められる部分があることは確かである。(昔、歌曲集『冬の旅』全曲の楽曲分析を試みるまでは、これほど顕著に思想を音楽=歌曲で表現した作品が存在するとは夢にも思わなかった)

ここで又少し脱線をさせて頂きたい。

「うたものがたり」(歌曲集)『冬の旅』はドイツの詩人、ヴィルヘルム・ミューラーによって書かれた詩に、シューベルトが精魂込めて作曲した、“歌曲の最高峰”とされている作品である。

「うたものがたり」(歌曲集)『美しき水車小屋の娘』においては、気分の高揚や明るい部分がまだ含まれており、主人公が唯一の登場人物ではなく恋人やその父親、恋敵までもが現れている。そして主人公を導くやさしい小川や天使も。色彩的にもさわやかな夏を表わす緑が基調である。

『冬の旅』においては他人との関係というのは全く絶たれており、恋人との思い出もすべて過去の出来事としてしか現れてこない。またこの作品では、主人公でさえぼんやりした輪郭しか与えられていない。若者か大人か、それさえもはっきりしない。だが、そのかわり自然というものが、よりいっそうはっきりと浮かび上がっている。吹雪、氷で覆われた小川、葉のない木々、不毛の凍てついた大地、暗いドイツの冬の原野は旅する男の心の中と同じように、無彩色の世界である。そして、そのような自然の中で、恋する男の生への執着と諦め、そして死への憧れと共に反復される嘆きが綿々と続く。主人公の感情の葛藤が長く絶望的に作曲されてゆくのである。》

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