ソフィアさんちのチルちゃんと僕(101)~交詢社とシューベルティアーデ(2-3)

「きれいな夕陽だ、太陽が沈んでお空がだんだん暗くなっていくのは、まるで静寂に包み込まれていくようだ。」

「秋の華やかさの中に、来るべき冬の気配が・・・」

「真夏のまぶしいくらいに輝く太陽は、若い生命であり、愛であり、希望の象徴なの。それが次第に消えていく時太陽はもう以前のような、輝く太陽ではなくなっているわ。

この音楽は愛や希望に満たされていた頃の太陽ではなく、「死への旅路」を歩みだした人間の姿を描いているのよ。」

「なんだか悲しいよ。」

「この音楽に悲しみは無いわ。静かなコラールのような伴奏の中で、天国の安らぎさえ感じてしまうほど美しい音よ。」

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       《ソフィアさんちのチルちゃんと僕2-3》

《3、シューベルトにとって『冬の旅』は死の景色の中の旅である。主人公の旅人は一般的にシューベルト自身の自画像であると考えられているし、どの言葉も彼の苦しみの表現、象徴となっている。

『冬の旅』の中で恋人に象徴されるものは「憧れ」である。「幻の太陽」“Die Nebensonnen”(『冬の旅』第23曲目)で歌われるように、太陽に象徴されるものは「希望」「愛」「生命」であり、又そういったものに満たされている「ユートピア」でもあると考えられる。

「太陽」はゲーテによれば「イデー」であり「根本現象」である。ミューラーはその普遍的なる太陽と共に、沈みゆく「第3の太陽」に「死への旅路」を象徴させた。

ミューラーのこの田園詩は田園詩であるがゆえに、ギリシア時代のプラトンのユートピアより続く牧歌の伝統としての「楽園幻想」を含むとも考えられるのである。幸せだった昔の自然に抱かれていた喜び、そして今、自分を取り巻く現実の世界の苦しみと希望のない未来。それらの対比がより深い悲しみとなっていく「楽園幻想」。

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