ソフィアさんちのチルちゃんと僕(97)~交詢社とシューベルティアーデ(1-4)

「まさしく日本の夜明け、先進文明諸国を見習って政府以外の自発的結社が公共機能の役割を果たすという理想は、天にも届くような大木となって日本に根付くんだ!」

「クーちゃん、いつのまにそんな難しいことが言えるようになったの?」

「へへへ、じつはさっきそのページをジーッて見ていたら、何となく覚えてしまったのさ。

天高く伸びている木だから、僕もそのてっぺんまで登りたくなって・・・」

「子猫には無理よ!登っても降りられなくなって、あ~んあ~ん泣いて・・・子猫が遊ぶ木はもっともっと低い木じゃないとだめよ。」

「うん、お話も易しいお話からじゃないと分からないのと同じだ。少しずつ話してね。」

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《4、「世務」とは商取引や金銭貸借、売買、雇用、など人間が社会の中で結ぶ関係の全てを指しているようである。住田孝太郎氏は「近代日本の中の交詢社」の中で、“世務諮詢とは旅行の際に一泊の宿の貸し借りをするといった社員同士の相互扶助にまで及ぶ”と述べている。

では、慶應義塾(学校という結社)や交詢社(社交クラブという結社)という政府以外の自発的結社の機能と必要性を福澤はいったい何時どこで認識したのであろうか?

1862年の渡欧により先進文明諸国の実情に接し、特にイギリスにおいて政府以外の自発的結社(学校・病院など)が種々の公共機能を果たしている様子に福澤は強い印象を受けている。

それらは『西洋事情初編』の中に記載され日本にも伝えられている。この時の結社の必要性という認識が慶応義塾、そして後年の交詢社設立へと繋がっていくと考えられるのである。

銀座にある交詢社ビルディングの瀟洒な佇まいは、いかにも選ばれた紳士達が集うに相応しいものである。明治から平成へと連綿と続く歴史はあるが、交詢社という単なる?「社交クラブ」が、福澤諭吉の三大事業の一つとして慶応義塾と共に現存するのは驚きである。》

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