ソフィアさんちのチルちゃんと僕(98)~交詢社とシューベルティアーデ(1-5)
「今度はヨーロッパのお話だ!お姫様もたくさんいるよ!」
「クーちゃん、落ち着いて!
これからヨーロッパの社交クラブのお話になるんだけれど、ソフィアさんの好みと独断で、シューベルトを囲む集い(シューベルティアーデ)のお話になっているようよ。
さあ、ゆっくりと楽しみましょう!」
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《5、ところで「知識交換世務諮詢」を同じような目的とする小さな集いが1821年1月3日、オーストリアのウイーンでも開催されていた。
それは結社ではなく自然発生的に生じていた友人たちの集まりが、シューベルトのパトロンとなる様々な学者、政治家、貴族のサロンなどでも開催されるようになった、「シューベルティアーデ」(シューベルトを囲む音楽の夕べ)という集いである。
シューベルトの死は1828年だからシューベルティアーデの存続はごく短い期間である。
だが、シューベルティアーデという集いは、日本の義務教育で教えられるほど有名な「社交クラブ」なのである。貴族のサロンなどでよく催される音楽会とは違い、シューベルティアーデでは、音楽だけでなく歴史や文学、政治問題まで話し合われたことが分かっている。
一般的にシューベルトは思想や政治とは全く無関係であり、無関心(無知)であったと考えられているが、彼の親しい友人達をはじめとして、シューベルティアーデに参加している人々やシューベルトが関係した事件などを考慮すれば、たとえ彼が学校などの教育機関で思想や政治問題を学ぶことができなかったとしても、友人達を通して当時の最新の知識を得ていたことは充分に推察することができるのである。・・・・・
「社交クラブ」交詢社でこれほど迷路に落ち込むとは全く想像をしていなかった。無知とは怖いものである。シューベルティアーデに関しては今回はプロローグのみとなってしまった。
(続)》