ソフィアさんちのチルちゃんと僕(95)~交詢社とシューベルティアーデ(1-2)
「わあ!きれいな鳥だあ、こんなきれいな鳥は始めて見たよ。でも、前に夢の中で見たような・・・」
「カワセミよ。まるで宝石のようにきれいな鳥、だけど素早いので人間の肉眼でこの美しさを見るのは至難の技なのよ。」
「僕だったら目がいいから、エイヤ~!って捕まえることができるかも。」
「だめだめ、クーちゃんがエイヤ~って飛びかかる瞬間にバシャバシャってお空に飛んでいってしまうわよ。クーちゃんは、ドッボ~ン!」
「早くお話始めてよ!」
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《2、 安政5年(1858)福澤は江戸築地鉄砲洲の中津藩奥平家屋敷内の長屋を借り蘭学塾を始めた。
10年後(1868)の慶應4年4月(明治への改元は9月)芝新銭座に移転し時の年号にちなみ「慶応義塾」と名づけた。「芝新銭座慶応義塾の記」という宣言書を掲げての出発であった。
「芝新銭座慶應義塾の記」は以下の文章で始まる。
「今ここに会社を立て義塾を創め、同士諸子相共に講究切磋し、以って洋学に従事するや事本と(もと)私に非ず。広くこれを世に公にし、士民を問わずいやしくも志あるものをして来学せしめんを欲するなり」
*ここでの「公」と「私」の特徴について。
①同士による共同体、「会社」の公共的機能の認識。
「会社」とは企業という意味ではなく、自発的集団を指している。江戸時代に生まれた和製漢語(馬場宏二『会社という言葉』)で、company,corporation,の訳語として生まれたものである。
「学界・学芸集団・同士等特定階層の自発的集団・広く仲間や集団」として今日の「社会」の意味で使われたらしい。『西洋事情初編』には商人・学校・病院といった各種の「会社」が書かれてある。
富田正文『考証 福澤諭吉』においては「『芝新銭座慶應義塾の記』における「会社」とは英語で association,society,とかいう意味である」と説明されている。
②洋学という学問に従事することは、単なる私事ではないということ。
③入社資格が身分ではなく「志」の有無にあること。》
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写真:松村隆太郎氏撮影「カワセミ」(「ハイム蝶百科図鑑」より)