ソフィアさんちのチルちゃんと僕(92)~世阿弥と福澤諭吉(4-4)~

《4、*「時分の花」「声の花」「幽玄の花」・・・年齢的な若さの新鮮な美、といった外面的な美しさ。

草木の花と同様に、やがてその時期になれば散ってしまう、いつまでも咲き続いていない花。

*「真の花」・・・高度な技術と、深い人生体験をふまえた演者は身につけた真の花が、どうして咲くのか、どうして散るのかといった花の理論を自覚しているから、名演技者としての名声はその人の心のままである。

だから、久しい年月にわたって、花を咲かし続けることが可能である。

「まず、七歳で稽古を始めてから、各年齢に応じた稽古のありかた、また役に扮する演戯の数々を、よくよく心の底において、そのひとつひとつを分別して覚え、多くの能の稽古をつくし、研究を極めて後に、この芸の花というものを、いつまでも失わない方法が会得できるであろう。

この多くの演目を身につけようとする意思が、すなわち、花を咲かせる種となるのだ。

芸術における花というのは、心の働きによって咲くものであり、種はあらゆる面にわたっての技術というべきである。」                                     (『風姿花伝』「第三 問答」より)

「~自分が、家を守り芸を重んずるあまり、亡父観阿弥の残しおいた教えを、心の底において、

大要を記したものだ。~能という芸術の衰退することを心配して書き残したものである。~

~ただ、能を継承する子孫への教訓として残しておくことに外ならない。

風姿花伝の条々は以上で終わる~

従五位下左衛門大夫  泰 元清 書 」

(『風姿花伝』「第三 問答」末文)》

写真:松村隆太郎氏撮影 「ミヤマカラスアゲハ」(「ハイム蝶百科図鑑」より)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトは reCAPTCHA で保護されており、Google の プライバシーポリシー利用規約が適用されます。