ソフィアさんちのチルちゃんと僕(86)~世阿弥と福澤諭吉(3-4)~
「日本だけでなくヨーロッパのオペラでも物狂いの役は難しいみたいだね。」
「狂気というのは正常な精神状態ではないからそれを表現するのは至難の技に違いないわ。だって演じている人は正常な人なんですもの。」
「だからオペラでは、正常な人では演奏できないような極端に難しい技巧も要求するんだよね。」
「クーちゃん、よく知っている。さすが、ソフィアさんちのニャンコね。」
《4、(3):直面(ひためん:面をかけない役、今の能では現実に生きている男性の役で、年齢その他の制約を受けないもの)で演じる物狂いの役は、能を知りつくした演者でなければ、十分に演じることは不可能である。なぜならば、物狂いを演じるためには、現実の逃避が必要であるから、ふつうの顔つきのままでは、物狂いにならない。~したがって直面の物狂いは、もっとも難しい物まねわざといえるであろう。~
直面であることのむずかしさと物狂いのむずかしさ、この異なった二つの課題を一度に消化して、しかもそのうえに面白い花を咲かせるということは、どんなに大変なことであろうか。よくよく稽古を積むべきである。
(「世阿弥著『風姿花伝』訳:観世寿夫、」より)
以上、“物学”について、私が個人的に興味のある役のみ少し詳しく取り上げてみた。
話は少し西欧へとそれるが、能楽と同じように舞台芸術としてのオペラには“狂乱の場”(mad scene)と称される至難の大曲を含む作品が存在する。
現代に残る「狂乱の場」を含むオペラは19世紀前半にイタリアで流行したものであり、当時の人々は厳しい現実の中で、現実でないもの、ロマンティックなもの、幻想的なものに強く惹かれ、それを劇場(オペラ)に求めたのである。》