ソフィアさんちのチルちゃんと僕(82)世阿弥と福澤諭吉(2-5)
「伝統芸能というのは、当然ながら電気なんて無かった時代の芸能よね。声だけでなく動きなんかも僅かな灯りの中で演じるのだから、どうせ観客には分かりっこない、なんて思ったらもうおしまい。だからそれまで、いえそれ以後も芸能に携わる人は、普通の人より下に見られて蔑まれていたのよ。」
「世阿弥さんが有名になったのは、子供のころ将軍様に見初められて可愛がられたからなんだろう?僕たちと同じだね。僕たちもソフィアさんに可愛がられて家族になれたよ。」
「う~ん、ちょっと・ではないわ、相当違うんだけれど・・・」
《5、 四十四・五歳
~かならず優秀な後継者を一座の中に持つようにしなければならない。~この年ごろからは、身体を使ったあまりこまかな演技はしない方がよい。~技巧的な、身体を激しく動かすような演目はするべきではない。
五十歳以上
このころからは、おおかた何もしないという方針に則る以外術はなかろう。~しかしながら、本当に能の真髄を体得した、すぐれた能役者であるならば、過去において得意としてきた多くの演目の大部分が肉体的な条件などによって演じられなくなり、また、どんな役を演じた場合でも、観客をひきつけるような外面的な見せ場が少なくなっても、いぜんとして或る芸の魅力は残るであろう。
亡父(観阿弥)は、五十二歳の五月十九日に死去したが、その月の四日、駿河国浅間神社の神前において、能を奉納した。その日の彼の能は、特に華やかで、すべての観客は一様に褒め讃えた。~年相応に、やすやすと演じられる曲を内輪に控えた演戯で、しかも、演出には工夫をこらして演じたが、その芸の魅力はますますみごとに見えたのである。
これは、ほんとうに身につけた芸の魅力があったからで、その能は枝葉が少なくなった老木のように、表面的な派手な面はなくなっても、美しい花の魅力は残って咲き匂っていたのである。亡父のこの例こそ、実際に、老年に至るまで持ち続けた花の証拠である。
以上が、年齢の各段階における稽古のありかたである。(「第一 年来稽古」より抜粋)
第二 物学(各役に扮する演戯の方法)
物学(ものまね:役に扮する演戯)の種類は~
女~・老人~・直面(ひためん:面をかけない役・今の能では現実に生きている男性の役)~、物狂い~、
法師~、修羅~、神~、鬼~、唐事(異国人の役)~、について説明されている。
(注)物狂い・・・物狂いは、能の中で、もっとも面白さの限りをつくした芸能である。その中にさまざまな種類があるから、この物狂いを全般にわたって修得した演者は、あらゆる面を通じて、幅の広い演戯を身につけられるであろう。~(「第二 物学」より)
物狂いは能だけでなくオペラやリートでも重要な要素となっているので、詳細は次回に述べたい。》