ソフィアさんちのチルちゃんと僕(77)~世阿弥と福澤諭吉(1-5)~
「僕、日本語が分からない・・・何を言っているのか全くわからないよ。チルちゃんは分かるの?」
「だめだめ、全くダメ。でも“~うせにけり~”、ということばは分かるわよ。聞きなれてしまったから。」
「この言葉がでてくると、やれやれ終るんだ~って思うからね。ふふふ」
「オペラでもチルちゃん終わりになると分かるんだよね。曲を覚えているの?」
「まさか!オペラの終わり頃にはffで高音をギャーって歌うから目が覚めるのね、そしたらffやppでもう一度高音を伸ばしてから歌が終るの。そしてピアノの後奏があって全て終了。誰でも分かるわよ。」
「それで、ナ~ゴってだっこの時間になるんだよね。」
「・・・・・・」
《5、世阿弥は観客である彼等の好みに合わせ、言葉、所作、歌舞、物語に幽玄美を漂わせる能の形式「夢幻能」を大成させていった。
一般に猿楽者の教養は低いものであったが、世阿弥は将軍や貴族の庇護を受け、教養を身に付けていた。(特に、摂政二条良基には連歌を習った。このことは後々世阿弥の書く能や芸能論に影響を与えている。)
義満の死後も世阿弥はさらに猿楽を深化させていく。『風姿花伝』『至花道』が著されたのはこの頃である。晩年は迫害を受け長男観世元雅は伊勢安濃津にて客死(1432年)、世阿弥も1434年佐渡国へ流刑となる。
著書『風姿花伝』(『花伝書』)では、観客に感動を与える力を「花」として表現している。
“少年は美しい声と姿を持つが、それは「時分の花」に過ぎない。能の奥義である「まことの花」は芸の花についての工夫(修行)から生まれる。「秘すれば花なり。秘せずば花なるべからず」として『風姿花伝』の内容は長らく秘伝とされてきた。 (続)》