ソフィアさんちのチルちゃんと僕(72)~天才と凡人(6-7)

     

《7、そのための手段として、

福澤先生は三大事業(慶応義塾、時事新報、交詢社)による国民の啓蒙と新たな文明を作り上げていく人材の育成を考えられた。

中川先生は、やはり西洋音楽の世界では後進国でしかなかった、日本の西洋音楽文化の新たな発展への脱皮のために、ご自分の資力(親の資力)や権力(著名な作曲家・指揮者であったプリンス近衛と軍部内でのお立場)を駆使して、大正時代だけでなく、日本国内では“西洋音楽暗黒の時代”といわれた激動の昭和時代にも、(上海という地で)日本の西洋音楽文化を守り抜かれたのである。

日本国内にいては分からない西洋列強の文明に触れられた先生方が、西洋列強に負けない国や文化をつくるために最も重要と考えられたことは・・・・・・

学問ならやり方(基礎知識の組み立て方)で優秀さ(天才性)は求められるが、新しい文明をつくるという構想実現のためには、“如何に人材・人脈を造るか”が最重要と考えられたことである。

そう考えると、敗戦後演奏家志望者をどんどん西欧の著名な音楽院に送られた中川先生に対し、

福澤先生の場合、先生の絶対的な天才性というのはどうしても「交詢社構想」に行き着いてしまう。

その構想実現に成功された先生とその後継者達によって、今もその門下として新しい文明を担う人材が次々に誕生し、又その精神は次代の天才をも育んでいるのである。      (完)》

 

「バンザ~イ!やっと終ったよ。」

「あらあら、草臥れてしまったようね。少しお休みしましょうね。」

「大丈夫だよ、楽しいお話だったからこのまま続けてもOKさ。」

 

〔全34回に亘り長期間のご講読どうも有難うございました。杉本 知瑛子&チル&クー〕

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