ソフィアさんちのチルちゃんと僕(59)~天才と凡人(4-4)~
《4、③南京総司令部参謀付幕僚として滞在された上海での日本の音楽家たちとの交流。
昭和18年、南京総司令部参謀付幕僚であり、且つ報道部の将校となり上海に赴任された。
*当時の上海は各国の大使館や領事館が集まっていて、外国人が居留地区を管理していた、世界一の国際都市であった。(上海租界)
(中川先生はイタリア語、ドイツ語、英語、ロシア語、フランス語、中国語などがお出来になり、
又外国滞在経験があったために、召集将校にも関らず上海赴任命令が下されたそうである)
上海交響楽団(世界に誇れるレベルのオーケストラ:20~30年前イギリスの法務局がイタリア
のオーケストラをそのまま、家族ともども上海につれてきてつくったもの)で、(その当時指
揮者死亡で不在のため)中川先生は指揮者として、毎週土曜日に定期演奏会で指揮をされた。
また、大学(京大オーケストラで活動)を出たばかりの朝比奈隆氏(終戦後、関西交響楽団
創設)を指揮者として呼び寄せられたり、服部良一氏、白井鉄造氏(宝塚歌劇)、小牧正英氏(終
戦後、小牧バレエ団創設:上海ではじめて未経験のバレエを踊り始める)など文化人や作家や
芸能人など80人位を招聘された。
この時代に先生に世話をされた方々が終戦後の日本で音楽文化の中心的な役割を果たすのである。》