ソフィアさんちのチルちゃんと僕(55)~天才と凡人(3)-5~

「゛ゆきちくらぶ”のキャッチフレーズが出てきたよ。」

「クーちゃん、難しいといって逃げ出さないでね。」

「むずかしそうなところは何回も読んでね。ちゃんとお話聴くから。」

「そうね、難しい所は何回も読んでいたらやさしくなるわ。もしそれでも難しければ10回でも20回でも・・・その頃にはお話を全て覚えてしまって、難しいなんて言葉は消えてしまっているわ。」

《5、慶應同窓会組織三田会の存在とその凄さである。その三田会の存在感・凄さは、福澤諭吉の三大事業(慶応義塾、時事新報、交詢社)である交詢社構想を引き継ぐ組織となっていることから生じていると考えられるのであるが、その交詢社構想を知る上で社是「知識交換世務諮詢」を再度(会報第10号“杉本:「交詢社」と「シューベルティアーデ」”参照)考えてみようと思う。

そこに書かれている「知識交換」はともかく、「世務諮詢」とは何であったか?

*「その繁多なること名伏に堪へず。之を世務という」(「交詢社設立之大意」)

*「此間違の頂上に達したるものは、国法に訴るのほか路なきが如くなれども、或は亦、相談諮詢の方便を以って、事の緒に就くものも少なからず。~~~」(『同』)

*「茫々たる宇宙、無数の人、互いにこれを知らず、互いにこれを他人視して独歩孤立するは、最も淋しき事なり」(『同』)

「世務」とは商取引や金銭貸借、売買、雇用、など人間が社会の中で結ぶ関係の全てを指しているようである。住田孝太郎氏は「近代日本の中の交詢社」の中で、“世務諮詢とは旅行の際に一泊の宿の貸し借りをするといった社員同士の相互扶助にまで及ぶ”と述べられている。

慶応義塾とは近世日本(江戸)から近代(明治)という大きな時代の変化の中で、文明を新たに造り出すという課題と「独立自尊⇒国家独立」に象徴される近代人と近代国家への脱皮を目的とした人作りのための結社であったと考えるのが妥当であるが、当然、交詢社構想もこの大きな目的の延長線上にあったはずである。しかし、現在存在する交詢社は単なる紳士の社交クラブと化し、その精神は慶応義塾同窓会組織(三田会組織)の精神として中川先生の言われる「凄さ」となっているのである。独歩孤立でご苦労された中川先生の必死のお言葉が「三田会」の必要性であったとは・・

(続)》

写真:宮川直遠氏撮影:「ダイヤモンド富士」(ご自宅ベランダより撮影)

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