ソフィアさんちのチルちゃんと僕(54)~天才と凡人(3)-4~

「わあ、清家塾長のとなりにソフィアさんがいるよ。」

「関西合同三田会神戸大会の時の写真よ。服部会長とお話していたら錢高会長(当時大阪慶應倶楽部会長)が写真を撮ってくださって、・・・そうしたら塾長までソロッと紛れ込まれて・・・錢高会長や来賓の女優さんまで入ってくださり、最高の記念写真になったらしく、ソフィアさんは宝物だと喜んでいたわ。」

「すご~い!僕も隅っこでいいからチョコンと入りたかったなあ。」

《4、 私の大芸大時代はといえば専門分野の声楽研究に没頭、そして仕事(ピアノ・声楽・合唱の指導、発表会の開催)にも全力投球。つまり一般教養等は履修届けを出し、試験を受けられるだけの出席日数を確保して試験前の2日だけ参考書を読んだのみであった。受けた試験の単位は全て取得したが、勉強したという実感は全く無かった。

それでは大卒として情けなく、恥ずかしい。「天知る、地知る・・・」である。

相当な難関といわれているNHKのオーディションに合格しても、二期会の研究生になっても、それとこれは話が違う。

それで単なる教養もと軽く考えて入学した慶應(通信課程)であるが、教科書をみて「ギョギョッ!」となった。日本語が読めない!これでは3足のわらじに全力投球は無理と観念した。

が、中川先生はそのことをお知りになるや「慶應は卒業しなさい!やめてはいけない!慶應は普通の大学とは違う。絶対にやめてはいけない!」と何度も言われた。何故、普通の大学と違うのか、その理由は「同窓会が凄いのだ」としか教えてはくださらなかった。“哲学(当時は「美学」特に音楽に関するものなど学科としてはなく、そういった専攻はできなかったので)などは適当にした方が身のためだ”くらいにしか考えられず、“夢中で本を読んで声に悪影響がでれば本末転倒”と暇な時(殆ど無かったのだが)にしか本を開かなかった。

しかし、今なら分かる!》

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