ソフィアさんちのチルちゃんと僕(49)~天才と凡人(2)-4~

「福知山の20連隊に志願兵で行かれたのだけれど、その連隊は日本一厳しいことで有名な連隊だったんですって。」

「凄いところへ行かされたんだね。可哀そう・・・」

《「天才と凡人(2)-4」

4、除隊後は同志社に戻らず会社勤めをするが音楽への思いが断ち切れず,近衛秀麿氏(1898~1973)に「ヨーロッパに連れて行ってくれ」と頼むことになる。

バイオリン:昭和5年(1930年)近衛秀麿氏と共にシベリア鉄道でヨーロッパへ渡る。先ず、ベルリンでは一番偉い先生カール・フレッシュ(1873~1944)に師事するがアドルフ・ブッシュ(1891~1952)の演奏を聴いて驚きバイオリンの勉強を断念する。

同じ時期にカール・フレッシュに師事していた喜志康一「(1909~1937)も日本との演奏技術の格差にひどいショックを受けバイオリン(音楽そのもの)をやめてしまったそうである。

(声楽のワイゼンボーンやバイオリンのカール・フレッシュは厳しい方だったようで、ベルリンでは「悲嘆のどん底」だったと述べられている。

同行された近衛秀麿氏は元首相近衛文麿氏の実弟で貴族院議員、当時は指揮者としてすでに成功を収めていた:近衛氏は山田耕筰(1886~1965)氏と一緒に新交響楽団を創設して指揮者に就任済。

船だと40日かかるがシベリア鉄道だと韓国の釜山からベルリンまで13日で行ける。それで近衛氏がベルリンでフルトベングラーの指揮を見たいとの事で鉄道に決まったが、片道のシベリア鉄道に乗るだけで近衛氏との二人分で21万円かかったとのこと(1階に3間2階に2間あるきちんとした借家の家賃が5円の時代である)それで着いた翌日フルトベングラーの演奏を聴くことができ、十数日前に近衛氏が東京で振ったばかりの曲との違いに驚愕される。

是非その秘密を知りたいと思いお二人はフルトベングラーに会いに行かれる。彼が楽譜に全部自分でハーモニーを書き足していたことを知られるや、彼の楽譜を全部借りお二人で全て写し取られたのである。後日エーリッヒ・クライバー(1890~1956)やクレンペラー(1885~1973)等からも彼等の譜面を快く貸して頂けたとのことである) 続く》

「凄い話がどんどんでてくるよ。はやく、はやく!次!」

「はあい」

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