ソフィアさんちのチルちゃんと僕(48)~天才と凡人(2)-3

《「天才と凡人(2)-3」

3、洋行前:中学から京都の同志社へ(賛美歌=歌=を歌いたくて同志社を選ぶ)、しかし兄上が二商(現在の北野中学のところ)の卒業生のため一年で二商に転校させられる。

二商の校長大沢渚によるアメリカの教育方法により英会話(イギリス人宣教師ミス・ソーターの授業)を習得、ミス・ソーター(ロンドン王室音楽学校のバイオリン科卒業)より師宅にてバイオリンの個人指導を受ける。

また同時に師宅でお茶のマナーとかフォークソングなども教えられる。(大正時代半ばの話である)

(この頃、中川先生は京都で同好の士を集め二商の雨天体操場で仲間とバイオリンの練習を始める)

大学は同志社に入り、賛美歌会で神学館にいたアメリカ人のシャイベリ先生といつも一緒に歌う。

又「京都公会堂」での「同志社イブ」でバイオリンのソロ演奏を行いその後オーケストラをつくる。

(京大にはすでに京大オーケストラがあったので同志社でも、と真似をされたそうである)

オーケストラに必要な楽器は全て京都の十字屋に頼み揃えるが、お金だけでなく準備等の負担も大きく勉強の時間が無くなり「こんなことではいかん。一年志願兵に行け」と父上より命じられる。

福知山の20連隊に志願兵で行く。軍服でダンスホール(当時の社交場)に出入りするが、そこで谷崎潤一郎(1886~1965)、白洲正子(1910~1998)等とも知り合う。

                        続く》

「怖いお父さんだったんだね。」

「当然よ。今の時代だって息子が音楽活動に夢中になって、大学の勉強をする暇もなくなってしまったら・・・それに京都の十字屋さんは中川家のことをよく知っているので、息子さんでも頼まれればいくらでも楽器を用立てるわよ。オーケストラに必要な楽器全てだから、途方もない額になるわ。」

「考えられない!中川家ってどれだけ大金持ちなんだろう。」

「京都の近衛家に隣接した邸宅で、近衛家とは対等な親戚付き合いだったということよ。現在ある京都府立医科大学の敷地は、中川先生のお父様が京都市に寄付された土地なの。

それまでは、国策に沿って牧場にしていらした京都市内の土地を、敗戦前に京都市に寄付をされたみたいね。敗戦でGHQに没収されるのが分かっていたのかしら。近衛家なんかは全資産を没収されて大変だったみたいね。中川先生のお母様が京都で住んでいらした近衛さんのお母様のところに訪問するときは、食料品などを届けておられたということよ。

近衛家の財産も三浦和男先生のお父様の資産も全てGHQに没収されて、戦後の生活は困難を極めたらしい、とソフィアさんが話していたわ。」

「三浦先生ってだあれ?」

「慶應の哲学者よ。凄い頭脳の持ち主でソフィアさんびっくりしていたわ。あとでまた出てきたときに詳しく書いてあるわ。その三浦先生の大叔父さんが、満鉄(旧満州鉄道)の総裁だったのでお家のお金は全て満鉄の株券にしていらしたの。で敗戦で全部無価値になってしまったそうよ。広大な邸宅はGHQに没収され、幹部の駐屯所にされてご家族は住むところも無くなったということよ。」

「中川先生は志願兵にされて、大丈夫だったの?」

 

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