ソフィアさんちのチルちゃんと僕(47)~天才と凡人(2)-2~

「中川先生ってやさしそうなおじいさんだね。」

「まあ、青年でもないし壮年でもないけれど、おじいさんという雰囲気の方ではなかったようよ。」

「歌を歌っていると常に青春時代を生きておられるようね。歌を歌うことは健康にいい、長生きの秘訣です。と仰っておられたみたいね。」

「わあ、そしたらソフィアさんも200歳まで歌うつもりなのかなあ」

「うふふ、ソフィアさんにきいてごらんなさい。」

《天才と凡人(2)-2

2、先生は101歳の時に(故)河合隼雄(元京都大学名誉教授:日本でユング派心理療法を確立した臨床心理学者:元文化庁長官)氏との対談による自伝『101歳の人生をきく』(講談社)を出版されている。

その本によると、

“1902年:京都に生まれる。1910年よりバイオリンを学び、1920年から声楽と指揮を本格的に始める。

ベルリン国立高等音楽学校、ミラノ国立音楽院、国立スカラ座歌手養成所、南カリフォルニア大学で学ぶ。

イタリア・アメリカでテノール歌手として活躍。1934年に帰国。

第二次世界大戦中は、支那派遣軍総司令部参謀部付幕僚及び上海陸軍報道部スポークスマンとし                  て上海での日独伊外交を遂行。戦後、日本にイタリアオペラを実現する一方、「イタリア声楽コンソルソ」を創設。~”

これは本の最後に書かれていた小さな「著者略歴」である。これらさえ謎であった先生の経歴などは本にしてくださったお陰で、昔伺ったことと先生の履歴とが重なり改めて謎が解明されていく。

本文の中にはもちろん、?というところもあるが自伝とはそういうものであろう。

私の音楽に必要な知識は先生との雑談によるものが大きい。しかし数十年も前に覚えていたつもりのことでも、その都度のお話が歴史的に前後関係が怪しくなって覚えていることも多々ある。そういった不安を少なくともこの著書は解決してくれた。

(先生と京響との関係は、終戦直後3年間月に3回位毎日新聞社の京都支局の3階ホールで開催された「バロック演奏会」で京響の人達に演奏協力を依頼されたことであり、岩淵龍太郎、外山雄三、林達次、他、多くの著名な演奏家から無料で出演・協力を得たことである。会の主催者及び指揮者は中川牧三。入場料200円位:聴衆は常に京大の学生ばかりであったそうである)    続く》

「中川牧三さんて長生きだったんだね。何歳まで生きておられたの?」

「105歳まで。ソフィアさんが゛慶友三田会の記念祝賀会”でオペラとリートを歌ったとき、ご親友の服部禮次郎(全国連合三田会会長)さんに頼んで、演奏を聴きにいって頂いたそうだから。その後すぐに亡くなられたので、ソフィアさんは自分が音楽に戻って活動するまで、先生が死ぬのを待っていてくださったのではないか、と思っているみたいよ。」

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