ソフィアさんちのチルちゃんと僕(46)~天才と凡人~(2)-1
「ねえ、チルちゃん、一万円札のおじさん、まだ出てこないの?」
「もう少し待ってね。福澤諭吉はクーちゃんでも知ってるくらい有名な方だけど、中川牧三というお名前を知っている方は、音楽の先生方でも少ないはずよ。」
「それじゃあ、凡人の一人みたいだよ。」
「だから、ソフィアさんが自分の師匠であった中川先生のことを、よ~く説明してからでないとお話を進められないのよ。」
「わあ、なんかまたミステリーみたいだ。早くお話を聞かせてよ!」
《 「天才と凡人(2)-1」
1、天才ということを、一般人(凡人)にとって非常に困難なことを容易に出来る能力を天性として持っている人を天才というのなら、福澤先生も中川先生も正しく天才といえる。
今回は日本では一般に余り知られていない中川牧三先生について、先生の存在で日本の音楽の歴史がどのような変化・発展を遂げたかを検証してみようと思う。
中川先生は「これも勉強した、あれも勉強した」とは決して仰らなかった。
最初レッスンに伺った京都のお宅はレッスン室以外にもお部屋がたくさんあり、レッスン室だけでは先生のご勉学の形跡を伺うことはできなかった。
数年後にレッスン場所として移られた芦屋のお宅は後に先生の奥様となられた方のご実家でもあり、実際に先生が常に目にしておられた書物を見ることができたのは、その後近くの芦屋のマンションに移られてからである。マンションなのでレッスン室の隣の部屋が書斎となっていて書棚がある。喜んで初めてその部屋を覗いた時には正直驚いた。
楽譜も含めて音楽の本は極わずかで、イタリアの気候風土や歴史の本など以外は最近出版されたオペラ歌手の自伝など日本語の本ばかり・・(後で教えて頂いたのだが、引越しの度に古い書物は処分されそれでも必要な書物はマンションの地下室を借り書庫としてご使用されていたとのこと;その地下の書庫は水害にあい貴重な資料と共に全書物も消滅の憂き目に・・・)
それで先生の深い知識経験はレッスン後の“雑談”からでしか窺い知ることができないと思い知らされたのである。 続く》
「わあ、よかったね。ソフィアさんお喋りが大好きみたいだから、たくさんお話が聞けたんだろうな。」
「とんでもない!最初はレッスン後にお茶を頂くなんてありえない状況に、ソフィアさんは何も喋らずカッチンコッチンになって、先生のお話をただ聞くだけだったみたいよ。」
「信じられないよ!」