ソフィアさんちのチルちゃんと僕(38)~学問をするということ⑥~

「すごいよ、すごいよ、一万円札の人の大学はすごいよ」

「ソフィアさんだって慶應の通信課程の歴史を知って入学したんじゃないのよ。入学してから送られてきた教科書を見てびっくりしていたわ。何しろその教科書は戦後教育を受けたソフィアさんには、まるで外国語。どの教科も古文では?と思うほど面食らっていたようよ。」

「じゃあ、どうやって卒業できたの?」

「ソフィアさんの先生の中川牧三という立派な方が、慶應を止めるな!慶應は普通の大学ではない、卒業をしなさい!と何度も言われたので、仕方なく在籍・・・だったみたい」

「読み辛い教科書は?今でも読み辛いまま?」

「いいえ、三浦和男通信教育部長(当時)が、全学生のために、と仰って教科書の大改革をされたのよ。新しい執筆陣と慶應の事務局の総力をあげての大改革だったようよ。特に事務局の労力の負担は並みではなかったと仰っていたらしいわ。

ソフィアさんはその時の関係者の苦労を三浦先生から聞いていたので、今でも慶應の事務局の方々には感謝しているみたいだわ。」

「でも、文字は読みやすくなっても卒業できる人はまだ入学者の4%だっていうから、ソフィアさん相当不服のようよ。今では学士入学が増えて、通信での大学はカルチャーセンターに行くような感覚の人もいるのでは・・・って。」

「ちがうよ!4%っていうのはどんな勉強方法であっても、慶應の卒業レベルを落とさない先生方の頑張りの証しだよ!」

「僕も頑張ろう!」

「クーちゃんは子猫だから頑張らなくていいのよ。」

「・・・・・」

  《「学問をするということ ⑥」

          ~活用亡き学問は無学に等し『学問のすすめ』12編より

現代において学歴社会から実力主義社会へという変動はあっても、一般の人々にはまだ大学卒業という経歴は実力主義社会(就職)へのスタートラインに立つ事であると考えられている。

故にか、卒業証書取得のためだけに(奨学金を利用して)安易に様々な大学に籍を置く勉強嫌いの学生が多く存在するのも、現代の「実学」実践といえるのであろうか。

 学問とは自分でするものである。

師からは助言を得るためだけに師事すると考えるべきである。

(一から十まで学校の先生に教えられて学び終えられるような簡単な学問は存在しない)

又、自分自身でする学問には終わりという限界はない。

学校とは、学生に卒業証書を授与するために最低限の学問を教える場所である。

だから、そこでの卒業とは次のステップへのスタートラインに立てるということだけである。

福澤先生が学問を始められたのは14~5歳と遅かったが、20歳で適塾(緒方洪庵に師事)に入所されるまでに読破された書物の量は尋常ではない。

適塾入門後も化学、科学、物理学など多方面に亘って学ばれ、2年後の22歳で塾頭となられた。

先生が『学問のすすめ』で奨励されている学問=“社会(自分の仕事や実生活)で役立つ「実学」”について、小学生レベルの人でも理解できるようにと記述されたが、ご自身は凄まじい量と多方面に亘る分野の学問研究をされていたのである。

少なくとも小中学生ではない我々、やはり“学問をするということ”とは今役に立つのみでなく、将来に亘り役に立つ幅広い分野の学問をも“実学”として学ばねばならないようである。 (完)》

(写真:「ハイムの蝶百科図鑑」より「ミドリヒョウモン」:宮川直遠氏撮影」

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