ソフィアさんちのチルちゃんと僕(37)~学問をするということ⑤~
「ねえ、ねえ、チルちゃん!秋だというのにきれいなバラが咲いているよ。」
「ほんと、すごく素敵ね」
「この写真、蝶おじさんが撮ったんだよ。おじさん、お花とか風景なんかの写真も上手なんだ。(エッヘン!)」
「あらあらクーちゃんが威張って・・・フフフ・・・もうすぐ冬とは思えないわね」
《「学問をするということ⑤ 」
~活用亡き学問は無学に等し『学問のすすめ』12編より~
自分の仕事に役立つ「高レベルの実学」は学校だけで身につくものではないが、世間や企業で認知された教育制度で本人の仕事や将来性が左右されるとなれば、『学問のすすめ』の学問奨励は、とりあえず大学卒業の資格取得の奨励とならざるを得なかったであったろう。
日本国民全てが敗戦時の混乱と貧困に今日一日を生きるだけが精一杯の時、慶応はそんな日本の人々に、働きながらでも名門私学慶応義塾大学の学生として勉学出来る道を開いたのである。
現代のように奨学金や児童手当、生活保護など考えられない時代であった。
戦争や空襲又食料不足や貧困の中、親や夫を無くして生きていた人々もたくさんいたであろう。
福澤の生きた明治維新と太平洋戦争に敗れた1945年は、近代日本史の中でも最大といえる日本人の精神的な転換期であり、国民全体が精神構造を一から変えねばならなかった時期でもあった。
福澤精神は、貧しい日本で多くの有能な若者に慶応という大学への門戸を開いたのである。》
(写真:「緑の環境委員会」より「最後のバラ」:宮川直遠氏撮影)