ソフィアさんちのチルちゃんと僕(29)~やさしいことはむずかしい④~
「僕、いい子。お話よ~く聞いているから勘違いなんかする筈がないよ。早く次を読んでよ。」
「はい、はい、でも、本当かな?」
《4、“わが日本国人も今より学問に志し、気力を確かにして、まず一身の独立を謀り、したがって一国の富強を致すことあらば、なんぞ西洋人の力を恐るるに足らん。~一身独立して一国独立するとはこのことなり。”
諭吉は『学問のすすめ』を少しでも多くの人にと、蓮如のおふみ文を参考にしたのであろう。
『学問のすすめ』は、やさしい文であっても当時の日本人にとって極めて重要な内容であった。
話は変わるが、クラシックとしては少しポピュラーと見られている作曲家にトスティという人がいる。音楽系大学で声楽専門の人なら、受験時または一年生の時に少し歌う程度の作曲家である。
それらの歌曲は、歌部分の音符も伴奏部分のピアノ譜もヴェルディやプッチーニなどのオペラに比べたら、難易度は大人と幼児位の差がある。
しかし、演奏に要する表現の難易度はそれらのオペラに負けてはいない。
なぜなら、音符とは関係のない楽器(歌の場合は人間の身体)の音色だけで、その楽曲の情景や精神性を表現しなければならないということは、オペラと全く同じなのであるから。》
「ネエ、ネエ、チルちゃん、蓮如のおふみ文てどんなことが書いてあるの?」
「私も詳しく知らないので、ネットで少しだけ調べてみるわね。」
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◎写真は「ムラサキシジミ」:宮川直遠氏撮影(「ハイムの蝶百科図鑑」より)
◎花の写真は「キンシバイ」:宮川直遠氏撮影(ハイム「緑の環境委員会」より)
参考:おふみ文とは・・・「浄土真宗jp」より引用
蓮如上人は、親鸞聖人の主著『教行信証』を何回も何回も読み破られ、大事なことを1000の中から100選ばれ、100の中から10に絞られ、10の中から1に絞られて、御文に書かれています。
ですから、蓮如上人は、こう言われています。
「御文は如来の直説なり」(『御一代記聞書』124)
阿弥陀如来の本願を明らかにされた親鸞聖人の教えを分かりやすく教えられているので、阿弥陀如来の直接説かれたようなものだということです。
しかも『教行信証』は漢文で書かれていますが、御文は平仮名交じりで、違えのないよう、分かり易く明解に教えられていますので、このように言われています。
蓮如上人が病気でお休みになっておられるとき、看病に来られたお弟子の慶聞房に、 「何か読んでくれ」 と言われました。
慶聞房が、
「御文を読みましょうか」
とお尋ねすると、
「ならば読みなさい」
といわれました。
3通のお手紙を、2回ずつ、合計6回読ませられ、
「自分が書いたものとはいえ、何とすばらしいことが書かれているのか」
と言われました。
御文は、大変わかりやすく書かれているので、これ以上にもっと深い教えがあるのではないかと思う人がありますが、 そうではありません。蓮如上人はこう言われています。
「御文はこれ凡夫往生の鏡なり。御文の上に法門あるべきように思う人あり、大いなる誤りなり」
(『御一代記聞書』178)