ソフィアさんちのチルちゃんと僕(105)~交詢社とシューベルティアーデ③-2~
「シューベルトさんはたくさんのお友達がいたんだね。」
「人ってお友達とおしゃべりをしたり、遊んだりして影響を受けあうのよ。
クーちゃんだって蝶々さん達と遊んでいたら、飛び上がってるじゃない。」
「う~ん、そういわれれば・・・ぼくも飛べるって思ってしまうんだ。」
「人間だってそうよ。自分のいつも一緒にいる仲間ができることなら、自分だってできないことはない、よーし、やってみよう!と思ったらしめたものよ。出来ちゃうんだから」
「わあ~い、それだったら僕、歌を歌ってみよう!きっと楽しいだろうな。」
「だれもクーちゃんにそんなこと言わないから諦めましょうね。かわいい声で“ナア~ゴ”って言えばそれがソフィアさんにはきれいな歌に聞こえるわよ。かわいいクーちゃん。」
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《2、 ゲオルク・R・マレクが言及した1829年9月19日の記録では、ウィーンの警察署長ゼードルニツキー伯爵が皇帝に対して、長年学校教育に携わってきたことを讃えて、フランツ・シューベルトの父親に金メダルを授与しようという計画をやめるように提言している。このことは当時の反動的国家体制にとって不穏に思えたシューベルトの政治的態度が父親の出世の障害となった例としてみることができるであろう。
一般的に思想や政治とは全く無関係であり無関心(無知)であったと考えられていたシューベルトであるが、少し調べるといろいろ政治的にも関与していた事件が浮かび上がってくる。音楽家としてのシューベルトは、たとえ自分の意思で思想や政治問題を学ぶことをしなかったとしても、友人達を通して、またシューベルティアーデや「ルートラム洞」などでの会話から当時の最新の知識を得ていたことは充分に推察することができるのである。》