ソフィアさんちのチルちゃんと僕(104)~交詢社とシューベルティアーデ③-1~

Illustration from 19th century

「あっ!きれいな人が歌を歌っている。」

「シューベルトが伴奏を弾いているわ、何の曲かしら。」

「女の人だから“糸を紡ぐグレートヒェン”とか、“野ばら”、それとも“アヴェ マリア”かも。」

「え~、“冬の旅”じゃないの?」

「残念だけれど“冬の旅”はシューベルトの死の前の年に書かれているし、こんなに楽しそうに聴ける雰囲気の曲ではないわ。」

「男の人も立っているよ。きっと一緒に歌っているんだ。」

「あらあら、クーちゃんよく見ているわねえ、だったら“魔王”かもしれないわ。子供のところだけ女の人が歌って遊んでいるのかも・・・」

「楽しそうだなあ、僕も仲間に入れて欲しいよ。ソフィアさ~ん!」

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〔交詢社〕と〔シューベルティアーデ〕(③-1)

《1、 前回は「歌曲の王」と讃えられているシューベルトの“うたものがたり”(歌曲集)『美しき水車小屋の娘』と『冬の旅』において、その作品の構成や特徴から内在している思想(精神)を少し考えてみたが、今回はそこから少し分け入って、シューベルトが彼の友人達(シューベルティアーデの仲間達)から受けていたであろう影響の根拠を具体的に述べてみたいと思う。

     *シューベルティアーデに参加していた人々やシューベルトが関係した事件

(1)「ルートラム洞」への参加

「ルートラム洞」とは1816年頃結成された、詩人・音楽家・画家・学者などウィーンの知識人による夕食会のグループである。

この集会には、ベートーヴェン・ウェーバー・サリエリ・グリルパルツァー・リュッケルトなども参加していた。シューベルトも所属していたが、1826年4月誤解がもとで警察に摘発され解散したのだが、シューベルトもその時逮捕されかかっている。

(2)友人ゼンの事件

1820年春、シューベルトの友人ゼン(詩人)が学生集会において、官憲の捜索に際して自分の書類に触れさせようとしなかった時、そこに居合わせたシューベルトが名誉毀損だと騒いだので、反国家的行為のかどで逮捕された。彼はすぐ釈放されたがゼンは禁固14ヶ月の罪になった。

シューベルトはその後ゼンと再会はしなかったが、2人が連絡を取り合っていたことは、ゼンの詩による「幸福の世界」“Selige Welt”(D.743)、「白鳥の歌」“Schwanengesang”(D.744)の2つのリート(歌曲)があることで明らかである。(1822年作曲)

この事件に巻き込まれたシューベルトは以後、警察のブラックリストに載せられている。》

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