天川2)ベートーベンについて~大学時代に綴った小論考(2)・・・14号

       「ベートーベンについて」~大学時代に綴った小論考~(二)   

                            天川貴之 (1991、法卒)

■ 1988-9-22

彼の生きた時代は、政治的にも、文化的にも、まさに、西洋最大の転換期であった。その時代を一言で表すと“赤”(情熱)の時代であった。文化的には、18世紀末から19世紀にかけてはロマン主義の時代に入ってゆくわけであるが、そのロマン主義の特徴は、自由を求める反抗と、感情重視とが一体となったものであると思う。反抗は感情的なものとなり、激しい革命を起こした。ルソーが時代の先駆けとして、『エミール』における感情優位と、『社会契約論』における革命思想を、一平民として同時に世に問うたことは時代を象徴している。ドイツではゲーテやシラーなどが古典主義を完成したなどと言われているが、彼らは、むしろ、ロマン主義、いや“赤”の時代の住人である。彼らは確かに古典主義を集大成したかもしれないが、それ以上に感情を讃美したことを強調したい。彼らは、むしろ、ロマン主義の扉を開け、“赤”の時代を鼓舞したのだ。それは、ベートーベンの音楽に対する立場と同じものである。たとえるならば、まず、時代の地表のうち、仏のルソー山が大きく噴火し、その影響で、仏大革命という大震災が起こり、独では、エミール沿いにルソー山とつながるカント山が、続いてゲーテ山やシラー山が次々と噴火し、最後に止めを刺すかのように、ヨーロッパの二大エベレスト山、すなわち、ナポレオン(英雄)とベートーベンが大噴火を起こすのである。ドロドロとした熱い熔岩が流れ出し、古い城から、古い街々に至るまで、すべてが焼き溶かされてゆく。(そういえば、この二つのエベレスト山は、その容姿からして、どことなく似ている。ベートーベンのその目の感じは、どことなくナポレオンを感じさせる。秘めたる野心と反抗、ほとばしる情熱と気迫、その自信に満ちた感じは、私達を魅き込み、無性に奮い立たせずにはおられない。この心の奥を締めつけるような神秘的な気迫はどこから来るのであろうか。)

このベートーベンの噴火に最も影響を与えた人物とは、シラーではないかと思う。ある意味で、シラーがなければ、このような形でのベートーベンはなかったのではないか。彼は、ボン大学時にシラーの友人のフィッシュニヒによるシラーの講義を受け、非常に感銘したそうである。フィッシュニヒはシラー夫人に宛てて、次のような手紙を送っている。「…この少年は選帝候によってウィーンのハイドンの許に派遣されたところです。彼はまた、シラーの「歓喜〔フロイデ〕」を、しかも全節を作曲しようとしています。」このように、ベートーベンは後の合唱交響曲として知られるものの構想を三十年も昔から考えていたことに驚かされる。彼の詩は、それ程、慎重に大切に作曲されたのである。しかし、こういう事実だけで私は前述の結論を出したのではない。私は、シラーの詩は最も好きであり、独断的に世界最高の美の結晶だと思っている。最高に才能のある詩人は、このシラーを頂点として、後は、ヘルダーリンと英国のシェリーの三者だと思う。彼らには、最も詩らしい詩のイデアのようなものを感ずるのだ。そう言えば、「お前はまだ若いから、情熱的で内容のないいわば単純奔放なものを好むのであろう。」と批判されるかもしれない。しかし、そのような人達こそは、詩を文字の配列として読むことしかできないのではないかと反論したい。詩の命とは、ディオニソス的な神性の輝きにあるのだ。言葉の配列は、一つの魂を創り、一種の旋律、一種の交響曲となって、我々に訴えかけてくるものなのである。シラーの詩の如きは、この神的音楽性が最も優れているのである。そして、驚くべきことに、そこから流れてくる交響曲は、ベートーベンのそれとほとんど同じようなものなのである。おそらく、ベートーベンの音楽家としての心の耳はそれを鋭く聞き分けたのであろう。ベートーベンは、その中におのれの理念を見出したのであろう。その時の若きベートーベンの胸の高なりが、シラーの詩を読むと聞こえてきそうである。ディオニソス的な詩人のシラー、そして作曲家ベートーベン。シラーの詩にはベートーベンのような人の精神と霊感とを高揚させる力があったのであろう。すると、ベートーベンの胸の内には、あの力強い、気高い「歓喜への頌歌」が「神々しい火花」となって響き鳴っていたのであろう。

ベートーベンに影響を与えたものを考えるにあたって、二つめは、ベートーベンの恋愛についてである。恋は人の感受性を高め、プラトンによると、精神が妊娠して“芸術”という子供が生まれるそうである。どんな芸術家でも、愛に影響されないものはない。古今東西の小説で一番多いテーマは何か。詩人が一番熱烈に歌うテーマは何であるか。愛は芸術の母であり、父である。

三つめは、ベートーベンの病気についてである。ベートーベンは、不幸と苦悩の中に生きたと強調されるが、彼を不幸と苦悩の内に沈めたのは95%まで病気である。内臓も悪かったらしいが、特に致命的なのは聴力障害である。彼に有名なハイリゲンシュタットの遺書を書かせたのも、彼を友人達から遠ざけさせ、彼に偏狭さと孤独とを与えたのもこの病魔である。私達でも、ただ病気の内にあるというだけで、周りがすべて嫌に見えて、不幸感覚に包まれることがあるではないか。彼の音楽の持つ、底抜けに暗く、深刻な雰囲気は、彼の病魔による苦悩の響きであると考えてよい。

(天川貴之:JDR総研代表)

つづく

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