天川26 )新生日本建設の時代1)・・・37号
「新生日本建設の時代」(1)
~戦後見失ってきた三つの柱の再興~
天川 貴之(91、法・法律卒)
目 次
第一節 戦後見失ってきた三つの柱について
第二節 理念の不在について
第三節 経済的精神の不在について
第四節 日本的精神の不在について
第五節 新生日本建設の時代
第一節 戦後見失ってきた三つの柱について(総論)
戦後七十年の歩みを振り返ってみると、日本にとっては、大いなる国家転換の時代であったと言える。過去、数千年の歴史を持つ日本民族にとって、この七十年とは、いかに位置づけるべき時期であるのか。その歩みは、ある点においては大いに発展し、また、ある点においては堕落してきたものであったように思う。
そこで、今後の新生日本建設を念い、戦略を考えるにあたって、今、現在に到る日本の潮流を、心を白紙の状態にして、様々に検討を加えてゆきたい。そして、確固たる認識の土台を創り、その上に「新生」日本を築き上げてゆく大いなる志を、私も日本国民の一人として持ちたいと願っている。
戦後七十年の中で、日本が見失ってきたものは、大局的に観て、三つあるのではないかと思う。
その一つは、「理念」であり、それは、精神的なるもの、永遠普遍的なるものである。哲学的には、「実在」と云われているものであり、あらゆる存在、あらゆる人間の営みの根底である。
そのことは、戦前の学生と、戦後七十年経った現在の学生とを比較してみれば、端的に現われている。
戦前においては、ほとんどの学生は、まず哲学の門をくぐった。カントの認識論は学生の常識であった。そして、西田幾多郎や田辺元を始めとするキラ星の如く輝く哲学者に導かれるようにして、多かれ少なかれ、すべての学生は哲学者であったと言える。
戦後七十年たった現在において、学生の中に哲学をなし、実在を探究する精神が枯渇しているということは、一見どうでもよいように見えて、実は、いかに精神的に日本人が根底から貧困になったかということが、如実に現われているのである。
かつて、へーゲルは、人類の最高の文化的遺産として、宗教・芸術・哲学を挙げられているが、こうした哲学が不毛になっているということ自体が、日本人が、ある意味で、人間の内なる生命たる精神や理性というものを退化させつつある現象であるとも言えるのである。
これは、戦後七十年の歩みの中で日本人が見失ってきた最たるものと言えるであろう。これは、一見、外見には見えにくいものであるが故に、失われているということ自体に気づきにくいものである。
しかし、人間にとって、より本質的なる生命であるとも言える精神の危機については、警鐘を鳴らし、精神の復興を新時代の柱にしてゆく方向性を打ち出してゆかなくてはならないのである。
次に、戦後七十年の歩みの中で日本人が見失ってきた最たる二つ目は、経済的なるものの意味である。いわば、「経済的精神」である。
日本人は、確かに敗戦によって物質的なる経済そのものを失い、敗戦国としての貧しさの極致にあったと言えよう。この七十年は、こうした地点からの経済復興の歩みであったということも出来るが、その中で、経済的復興、経済的成長に力点を置きすぎたあまり、経済が人間にとって本当の幸福の源となるための方向性を見失ってきたと言えよう。
それはエコノミックアニマルという蔑称にも現われていると言えるが、経済的なものの考え方の奥にあるものについての探究が疎かにされていたということの現われであると言えよう。
戦後七十年を迎え、日本は経済的な大不況という未曽有の試練の中にあると言えるが、こうした逆境から脱出する秘策の一つは、経済的なものの見方の大転換にあるのではないかということが、本論文のテーマの一つである。
先程、「理念の不在」ということを述べたが、この理念が最も見出されなくてはならない最たるものが、この日本経済のあり方の中なのである。理念を見失ったが故に、日本経済は真なる方向性を見失い、いつの間にか、何のために発展繁栄するのか、それ自体が忘却されてしまっていると言えるのである。
最後に、戦後七十年の歩みの中で見失ってきた最たるものの三つ目は、「日本的精神」である。
日本のアイデンティティの根幹を日本人が見失ってしまったことは、現代を生きる日本人ならば、ほとんどの方が実感されていることであると思う。いや、ほとんどの方は、実感しえない程に、日本とは何かということを問わなくなってしまっていると言ってもよいかもしれない。
しかし、昭和の初めに生まれられ、戦前・戦中・戦後の一連の時代を生き抜いてこられた方ならば、日本のアイデンティティの危機を、心底、実感しておられるに違いない。
かつて、松下幸之助氏は、「日本を考える」の中で、日本的なる視座の大切さということを訴えておられたが、そもそも、日本的視座とは一体何なのかということが分からなくなってしまっているのが、日本の現状なのである。
私は、現代を生きる日本人の一人として、日本人としてのアイデンティティの脆うさを天来の宿命のようにして背負っているのが現代の若者なのではないかと感じることがある。
普段は日本を意識しなくても時は流れてゆくが、節目節目にどうしても自分が日本人なのであるという原点を問い直すきっかけが与えられる。そして、昭和という歴史を一つ一つひもといてみると、そこには、私達の時代に到ってもなお、どのように位置づけ、意味づけてゆけばよいのかに戸惑う問題が山積みされているのである。
しかし、過去の鮮烈な事件の数々を全体として達観出来るような時代的立場にあるということは、ある意味で恵まれていると言えよう。近すぎて、その事件が鮮烈すぎるが故に目に見えなくなってしまうものも、遠くから見るが故に、ある程度、客観視出来るのが今という時期であり、今を生きる世代の日本人ではないかと思う。
大局的に観れば、戦前の七十年というものは、最も日本が日本的なるものになろうとした時代であると言えるし、戦後七十年は、最も日本が日本的なるものから離れようとした時代であるとも言える。
そして、それぞれ二つの世代の価値観の断絶は激しく、大きな振り子のように揺れ動き、全体として観れば、日本人同士の間で、大きな葛藤と矛盾が生まれている。
戦後七十年を生きる我々の世代は、ある意味では、この両者を止揚統合してゆく使命を背負っている世代であると言えるかもしれない。
ヘーゲルの弁証法の如く、ただ単に、戦前の七十年の「正」の時代と、戦後七十年の「反」の時代が、お互いに和解しがたい相克の中に、並列的に存在するのみならず、日本精神がより一層の発展をしてゆくための布石としてあることを信じたい。
そして、ここ百年の日本の歩みの総決算を、大いなる大志として、今こそ打ち立て、今後の新しい日本を築くために立ち上ってゆく鬨の声を上げなくてはならない。
大いなる新時代のうねりは、確かに、現在の日本に息づいているのである。平成七年に起きた関西大地震や、先の東日本大震災の如く、その基盤から揺るがしてゆくような大いなる変革を、永遠なる日本精神そのものが欲し、大いなる時代精神そのものが欲し、そして、地球時代に向けて、世界精神そのものが日本に求めているものであると感ずる。
戦後七十年を、単なる時間の転換点の一つとして見るだけではなく、時代精神そのものの転換点として観ることが出来る人間こそが、今の時代を真に生きている精神であると言えよう。
それは、心の奥の奥なる所に万人が感じ取っている新生日本建設の時代潮流である。
(続く)
(天川貴之:JDR総合研究所代表・哲学者)