天川23 )新時代の経営者によせて・・・34号

「新時代の経営者によせて」

 天川 貴之(91、法・法律)

 

新しい時代を創造してゆくためには、どうしても、フロンティア・スピリットを持った経営者が出現してこなければならないのである。

では、いかなる所に未開拓なるフロンティアが存在しているのであろうか。その最たる所は、経営哲学、経営フィロソフィーの面である。ほとんどの人々は、現象的なるものばかりに眼を奪われて、現象の背後にある所の法則について考えようともしない。そして、一時的な成功と失敗について一喜一憂しながら、刹那的目標を達成せんとして、あくせくとしておられるのである。

しかしながら、よくよく経営者としての使命と本質という原点に立ち返って、自己観照してみると、それが、如何にはかない幻想のような経営形態であるかということが分かるのである。

すべての現象の背後には、確固不動たる理念がある。この理念とは、法則でもある。特に、経営の分野であれば、成功の法則、繁栄の法則、発展の法則というものに心を向けてゆかねばならない。

一つ一つの成功も失敗も、すべてこの法則を知るためのよすがとして受けとってゆかねばならない。それであって初めて、真実の意味の智慧が生まれてゆくのであり、この智慧を愛する者こそ真実なる哲学者であり、真実なる経営的智慧を自らの内に蓄えておられる方こそが、真実の哲人経営者であるといえるのである。

現象的な成功など、数年後には無常にも流れ去ってしまう。また、その恩恵を受ける者も、せいぜいその会社に所属する人々に限られている。しかし、これがその成功の背後にある智慧の遺産ということになれば、周りの者を、深く、高く、永く、潤すのみならず、社会全体を、また、後世の多くの人々をも潤してゆくことが出来るのである。

これより、新時代が求めているのは、まさに、かかる哲人経営者なのである。成功している方は、成功すべくして成功されているのであり、失敗している方は、失敗すべくして失敗されているのである。成功の女神が微笑んだから偶然に成功するということは、人生の真実ではなく、成功法則に適った経営をしている方であるからこそ、成功の女神が微笑んで下さるのである。

故に、人々よ、決して自己卑下してはならない。自分は、幸運な星の下に生まれていないとか、自分は成功する器ではないとか思い込みすぎないでいただきたい。あなたが今、失敗の渦中におられるとするならば、それこそ失敗の法則を学ぶ絶好の機会にあるということなのである。よく失敗する者こそ、よく成功するのである。

何故なら、失敗の法則を真に知っている者は、失敗から逃れることが出来るし、そもそも失敗しなくなってゆくからである。さらに、その上に、成功する法則を体現してゆけば、あなたは失敗しないばかりではなく、成功ばかりする人生、常勝の人生を歩んでゆかれることになるのである。

故に、いついかなる事件に遭遇しようとも、それを、悲観的に受けとめてはならない。大いなる智慧の光をもってこれを観れば、まさしく、その問題そのものが、智慧の悦びの光を放ってゆくものとなってゆくのだ。

だから、新時代を切り拓かんとする哲人経営者達よ、すべての苦難困難を、大いなる悦びをもって受けとめてゆこう。昨日も一日新たな智慧が増えた、今日もまた新しい智慧が増えたと、こうした日々を積み重ねてゆくことが出来たならば、あなたは確実に成長しているばかりではなく、確実に周りの人々を潤しながら生きておられるのである。

現象的な失敗も、現象的な成功も、いわば、これは食物の部分にあたるのだ。どんなに多くの食物を食べても、それを少しも消化吸収しなければ、自分自身の血肉やエネルギーとはならないように、どんなに数多くの経験をなしたとしても、どんなに数多くの知識を学んだとしても、それに対して主体的なる思索を加えてゆかなければ、それを智慧にして、自らの内に蓄えてゆくことは出来ないのである。

だから、日々仕事を終えられてから、一日を振り返り、そこから、現象の背後に隠れている法則、理念を沈思し、思索によって、これを抽出していっていただきたいのである。また、一ヵ月や一年に一回は、その間にあった現象を振り返って、その中から、智慧を導き出していただきたいのである。

他からの借り物の知識であっては、他人を説得することはなかなか出来ないものである。しかし、自己が真にその内なる理念の光によって思索したものは、自分自身の智慧となっているが故に、他の数多くの人々の心を打ち、その心の内に智慧を送り込むことが出来るのである。

こうした努力を積み重ねておられる方は、「永遠」を経営の中に感じられるようになられることであろう。経営というものが物質的で虚しいと感じておられる方は、その方自身の責任なのである。内なる理念の眼を輝かせて経営を観ずるならば、そこには永遠の至福の世界が広がっているものなのである。

理念の世界というものは、決して現象の世界を離れて存在するのではない。あくまでも現象そのものの背後に重なり合う存在として実在するのである。故に、理念経営者とは、決して現実から逃避するような弱者ではなくて、真に力強い最高の成功者であると同時に、最高の哲学者でもあるということに気づかれることであろう。

経営とは、本来、大いなる悦びそのものであるのだ。それは、大いなる希望そのものであり、大いなる愛そのものであり、大いなる安らぎそのものであり、大いなる至福そのものであるのだ。物質的とみえしものは、自己が物質的であったにすぎず、虚しいとみえしものは、自己が虚しい存在であったにすぎないのである。

そして、あなたが、真実の哲人経営者の悦びのもとに人々を見渡されるようになられるならば、すべての仕事仲間の内に、あの天空に輝ける星々のような光輝かんばかりの個性の輝きが見出されてくることであろう。それこそ、一人一人の内なるかけがえのない理念の姿であるのだ。

自己が、物質的なるものばかりに眼をやっていた時には、決して、そうした姿は見えてこなかったはずである。どの人もそう変わらず、どの人も同じ時間を働く単なる従業員にしかみえなかったであろう。しかし、一度、理念の眼をもって人々をみれば、一人一人の内なる使命が、生き生きと、現象世界へ、生まれんと生まれんとしている姿が観えてこられることであろう。

経営者とは、「人を使う」立場にあるものであるが、真実に人を使うということは、真実に人を生かすということである。そして、真実に人を生かすということは、その人の内なる理念を最高度に光輝かせるということなのである。これは、適材適所という言葉の奥にある真理である。

一人一人の個性とは、その内に無限の力を有しているのである。その個性を生かしきらない限りは、有限の卑少なるものしか導き出せなかったものでも、その個性のミラクルポイントを発見し、その個性の理念の力を導き出すことが出来たならば、まさしく奇跡的な革命的な仕事を、成果として顕わしてゆけるものなのである。

かかる仕事仲間、仕事をする同志の内に、真実なる理念を発見出来なければ、経営者としては、充分な使命を果しているとはいえない。ましてや、足らざる所ばかり見え、悪い所をより一層悪くしてゆくような人の使い方しか出来ない経営者は、失格であるといってもよいであろう。

人を真に生かして、成功しないということは、ありえないことであるのだ。それだけの無限の力が、一〇〇%、一人一人の内には眠っているのである。

さらに、あなたが真に理念の眼を開いてこられたならば、時代のニーズ、人々の内なるニーズが、自然に観えてこられるはずである。何故なら、すべての人々は、理念において、一つにつながっているからである。

人々のニーズといっても、現代の数多くの経営者の方々が発見しておられるニーズは、ともすれば人々を堕落させるニーズであることも多い。そのような方々には、かかるニーズを発見する自己の精神の堕落があるのであろう。

しかし、人々を堕落せしめ、自己を堕落させることをもっては、決して、究極的に成功することも、繁栄することも出来ないのである。何故なら、それは、理念の本性に反することだからである。

理念の本性に反することは、必ずや、一〇〇%、反作用を受けることになる。それは、良心の呵責として、また、それが地上に現実化した挫切として、必ず、はねかえってくるものなのである。

故に、理念に目覚めた経営者は、人々の内にある所の理念のニーズ、潜在せる理念のシーズをこそ発見し、喚起してゆかなければならない。いや、これは、真に理念に目覚め、人々に対する愛の関心を持てば、必ずや、自然に手にとるように分かってくるものなのである。

真に自己の理念に目覚め、他者の理念に目覚め、経営の理念に目覚めたる者こそ、真実なる経営の王者であり、経営の王道を歩む者であるのである。

王道は、それが王道であるが故に、永遠なる幸福の道であり、永遠なる成功の道であり、永遠なる発展繁栄の道である。かかる哲人経営者こそが経済界に輝く星であり、永遠なるジャパニーズドリームを築くに欠くことの出来ない英雄である。

(天川貴之:JDR総合研究所代表・哲学者)

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