天川20 )新生日本ルネサンス文学のビジョン・・・31号

「新生日本ルネサンス文学のビジョン」

                                  天川貴之(H3、法・法律)

第一節 神々の生命の鳴り響く文学の復興

新時代の日本精神というものを最も完成度の高い形で具現化する領域が何であるかということを考えた時に、文学というものは、最も大切な領域ではないかと思います。演劇などの舞台芸術も含めて、文学というものは、本来、その中に魂を持っていなければ、真に本物の文学とはならないのであります。

結局の所、作者の魂の発露が文学の生命であり、作者の魂がその文学の中に深く根付いておらなければ、文学というものも底の浅いものとなってくるのであります。そのような観点からみた時に、新時代の文学というものは、その中に、日本精神の様々な素晴らしさというものを具現化してゆくものが生まれてゆくことを願うものであります。

例えば、「古事記」という物語をとってみても、これは、非常に世界的にみても洗練された文学であるといえるのであります。そこに特定の思想や言論があるというよりは、物語そのものとして古事記が編まれております。これは、日本文化を特徴づける最も大切な事例ではないかと思います。

古事記そのものが世界的な文学であるということ、そして、新時代を改革してゆく柱というものが、やはり神々の文学というものの復権であるということ、文学の世界の中に、神代の時代を興してゆくということ、文学という形式、芸術という形式を通して、神々を表現してゆくということ、これが、究極の文学ではないかと思うのであります。

日本の神々というものは非常に人間的であって、世界的な「造物主」の観点からみれば、実に生き生きと、伸びやかに、明るく、朗らかに、あまりにも人間的に描かれているものでありますが、そこにまた、日本精神の発露を見出すのであります。

いまだかつて、古事記ほど生き生きとした神の生命の躍動を宿した文学というものは地上に存在しないのであります。ギリシャの古典文学と比べてみても、日本の古事記というものは、世界的な価値というものを持っております。その中で述べられている物語そのものも、言霊そのもの、大和言霊そのもので綴られているものであり、その言霊というものをとってみても、非常に文学的価値が高いといえるのであります。

文体というものは文学の根本であって、文体を見ればその作品の価値というものも解かり、その作者の哲学というものも解かり、その作者の悟りというものも解かります。

従って、これからの文学は、言霊によって書かれなければならない。「言霊の幸ふ国」というのがこの日本の国であるならば、言霊を通して、神々の生命の鳴り響く様を表現してゆかなければならないといえます。

太鼓の鳴り響く音というものは、神社の神の生命を目覚めさせる象徴であります。同じく、文学という神の太鼓を叩くことによって、言霊を鳴り響かせることによって、新生日本の神の生命の躍動というものを根本から日本人の精神の中に湧き興してゆくこと、これこそが、新しい時代のニューウェーブといえるのではないでありましょうか。

従って、古事記に匹敵するような神々の物語が、新時代には、新しい神代文学として、神々の文学として望まれているのであります。

例えば、日本武尊という神が実在されるのであるならば、それは、文学の中で表現すればどのような生命になるのか、これは万人が興味がある所でもあり、また、学ぶべき対象でもあろうと思うのであります。

また、須佐之男命という方がおられるのであるならば、どのような方であるのか。その言霊は如何に。その言動は如何に。そうしたものを文学を通して表現してゆけば、世界の方々は、日本の神々に親しみを持たれることでありましょう。

さらには、天照大神といわれる方がおられるならば、その方の気品や、品性、言霊というものはどのようなものであるのか。これを文学を通して探究していったならば、どのような素晴らしい文学が出来るでありましょうか。

第二節  日本の古代精神の復興による新生日本ルネサンス

古事記というものは、非常に言葉少ない文学であって、その思想やその理念というものを、言葉というロゴスを通して、新時代の言霊として現代語を使って述べたならば、どのような素晴らしい文化風土がこの日本国に出来るでありましょうか。まさしく、「言霊の幸ふ国」というものを、文学を通して、これからの日本に再興していっていただきたいし、それがまさしく、新生日本ルネサンスであろうと思うのであります。

この日本という国は文学から始まったということ、神代の時代の神々の行動形式は芸術であるということ、芸術的にこの国は創られ、「美しき国」として育まれてきたのであるということ、このような観点から、文学的な対象として、この日本国を「神の国」と思うのは、文学者にとって、ある面で真実であろうと思うのであります。神秘の国を、文学の中においてこの国に見出すのであります。

かの三島由紀夫であったとしても、武士道というものを、自らの身を以って、また文学を以って、世界的に開闢しようとした作家であるという位置づけも出来ましょうが、その最後の遺作というのは、「天人五衰」という輪廻転生のテーマであります。

輪廻転生を論ずることが少なくなった日本国において、憂国の志というものを「天人五衰」の中で論じて、時代の逆説というものをその中に表現しています。それは素直な形ではありませんが、戦後文学としてはあるべき姿であったのかもしれません。

また、永遠の恋であるとか、憂国であるとか、このような戦後タブーとされてきたテーマに文学を通して挑んでいったということは、非常に画期的な試みであったと思うのであります。

また、このような憂国というようなものも、また、切腹というような、西洋人から見れば野蛮な行為を、神聖なる武士道の発露、大和魂の発露として、文学だけでなく、映画を通して表現したということは、これは非常に画期的な試みであって、それが成功したかどうかはまた別として、世界的に新しい文学の可能性、日本文学の可能性を明示した先駈けであったともいえるわけであります。

このように考えてみた時に、例えば日本武尊の物語であったとしても、文学的な価値というものは、三国志にも劣らないものがあろうと思うのであります。また、須佐之男命であったとしても、非常に神々というものは生き生きとしている。死んだ神ではなくて、生き生きとした、躍動をもった、歓喜に満ちた、感情表現が非常に豊かな「豊饒なる神」、このような豊饒なる神というものを、この日本の歴史というものは有しているのであり、これは、日本的に誇りを持ってよいのであります。

ギリシャの神々の神話に比べても、非常に大らかな伸び伸びとした活発な風土が日本の古代精神の伝統であって、それは、一脈ギリシャに通ずるものであります。

第三節 シンプルな中に根源的な精神が実在した古代の精神

ギリシャ精神と日本精神というものは、その根底において軌を一にしている所があります。それは、健全な美学というものがその中に流れているのであります。日本国の神々の姿というものは、非常に、今の時代、縄文文化というものが見直されておりますが、古代においては、非常にシンプルな中に、人間の精神的な根源があったと思うのであります。

大和魂というものは、その始まりにおいては非常にシンプルなものであった、非常にシンプルな中にベストなものがあった、このようなものが、現代においては新しいのではないかと思うのであります。

これだけ非常に複雑化し、専門化し、何が本当で、何が嘘であるかが解からなくなって、すべてがエンターテイナー性を帯びたこの軽薄なトレンディーな時代において、本当の意味において、シンプルな中に生命が宿っている。シンプルな中に生死を超えた生命がある。魂がある。大和魂がある。このような精神性を、我々は古代の中に求めなければならず、その古代の精神を表象した古事記の中に求めなければならないのであります。

さらに、男らしさということを考えても、女性らしさということを考えても、古代の神々ほど、大和魂や、大和心や、そのような日本の伝統精神の根源を体現した時代はなかったのではないかと思うのであります。その行動の中にそれは自然と滲み出し、実践の中に自然と滲み出し、陽明学で云う所の知行合一を地でいっていたのが古代の時代であったといえるのであります。

今の言論風土というものは、そのような古代の精神に比べてみれば、口だけが横行し、行動という実現を伴わず、実践という実質を伴わず、言動の内に真実を伴わず、生命を伴わず、如何に虚栄と嘘が横行していることでありましょうか。そのようなことを考えた時に、何が本当の文化であるかということは、これは、一概には言えないものがあるのであります。

第四節 芸術を通して日本精神の生命をルネサンスしてゆけ

そのような観点から、神代の精神というもの、日本の古事記に象徴されていた精神というもの、これを現代、もしくは新時代に向けて再現し、再興することが出来たならば、日本は新しいルネサンスの時代を迎えるといえるのであります。

本当の意味において日本がルネサンスしてゆくということは、中世のキリスト教社会において、古代ギリシャ・ローマの精神を復興させたのと同じであって、この近代以降の自由と民主主義と、様々なイデオロギーの時代、科学の時代において、古代の、それと一見対極に見えるような精神を、その器の中に再現したならば、古代の精神が現代に蘇り、古代とはまた違った形で蘇り、現代の中で、不易流行の精神を体現する芸術作品として成ってゆくのではないかと思うのであります。

このような神々の生命の鳴り響くような芸術を、言霊が鳴り響くような芸術を、新生ルネサンスの源として、新しいダンテの「神曲」のように創ってゆくことが、新時代のルネサンス運動の母体となり、それが世界に派生してゆき、新しい生命というものを全世界に与え、その過程で、大和魂や日本の精神というものを、また、大和の精神というものを、世界的に開闢してゆくことが出来るのではないかと思うのであります。

大いに芸術を通して日本精神を探究し、芸術を通して神の生命を探究し、芸術を通して神々と一体となり、芸術の中に、神代の時代を創出していっていただきたい。それであってこそ、新生日本建設の大道が生まれてゆくのではないでしょうか。以上であります。

(天川貴之:JDR総合研究所代表・哲学者)

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