天川19)日本語の真髄について・・・30号

             「日本語の真髄について」

       ~理念言語学の時代~

天川 貴之(H3、法・法律)

第一節 言葉の奥に在る理念としての言霊

新時代の日本語というものについて、述べてまいりたいと思います。日本語というものを深く洞察したならば、「言霊」ということに行き着きます。古来から、日本は「言霊の幸ふ国」と言われてまいりましたが、言霊というものの意味を、新時代において再興してゆくことが必要なのではないかと思うのであります。

言葉に魂が宿っているという考え方は日本の伝統的な考え方であって、現代人が忘れ去ってしまっている考え方ではないかと思います。現代の言語学の観点から述べましても、言霊というものは、非常に深い洞察を含んでいるものであると思うのであります。

言霊という考え方は、西洋では、ギリシャ哲学の「ロゴス」という考え方となってありますし、また、キリスト教におきましても、「言葉は神なり」という考え方があります。言葉が神であるという考え方には深い意味があって、なかなか表面的に理解するのが難しいものであります。

聖書の冒頭に、「言葉は神と共にあり、言葉は神なりき」という言葉があります。言葉というものは神の本質であって、そして、言葉の内に命があって、命は人間を照らす光であった。同時に、すべてのものは言葉によって創られたと、そのように聖書の中に記されているのであります。言葉によってすべてが成り立ったということが、これが聖書の世界観であります。また、ギリシャ哲学の中においても、ロゴスによって世界を構築するという思想があります。

このように、言葉というものを深く探究してゆくならば、それはただ単に表面的な言語学ではなくて、理念そのものに穿ち入った「理念言語学」となってゆくのであります。そして、理念言語学の観点から日本語というものを見た場合に、理念言霊学という考え方が必要となってくるのではないかと思うのであります。

古代から日本の古典となっているものを紐解いてみるならば、万葉集にしても、また、古事記にしても、また、例えば聖徳太子の十七条憲法にしても、また、宗教的な文献でいえば、蓮如聖人の御文にしても、また、近代日本の教育勅語にしても、すべては言霊で書かれているというようにいえるのであります。その意味において、一種の古典性が観られるといえるのであります。

第二節  日本の言霊の奥なる日本の根本精神の解読

特に、古代の古事記などは、古事記の言霊がそのまま祝詞になるような文章でありまして、古事記というものは、深い意味を持っております。祝詞が祝詞として尊いのは、それを朗誦することによって、神威を発現する効果を発せしむるということであります。

仏教ではお経になるでありましょうが、こうしたものを朗誦すれば、本当の意味において神威が発揚し、光明が差し来たり、そして、それが人の命を輝かせる源となり、国家を輝かせる源となるという深い洞察があります。

従って、古今東西を問わず、言霊というものに対する考え方を人類というものは持っており、それは真理であって、古典といわれるものの中には、限りなく言霊というものが宿っており、この言霊を解読することが、古典を真に解読する鍵であるといえるのであります。

日本にも日本独自の言霊というものがあって、日本独自の言霊の中に深い意味というものが込められており、そこにこそ日本語のアイデンティティーがあり、日本語を日本語として在らしめている根本精神があるといえるのであります。

まず、日本に根本精神があって、それが目に見えない言葉としてあって、それが形となって地上に現われたものが日本語であって、その一つが古事記であるわけであります。古事記というものは、その原形は日本精神そのものの中にあって、目に見えぬ言葉としてあったものであります。その一端が地上に必然的な形をとって顕われたのが古事記であり、日本の神話であるのであります。

従って、日本の神話というものは、あくまでも地上に顕われた形象であって、象徴であって、その奥にあるものは、日本の神話を超えた所の永遠普遍なる日本精神であり、その永遠普遍なる日本の理念、日本のイデアというものが、古事記や万葉集や十七条憲法や、その他様々なものとなっていると忖度することが出来るのであります。

ですから、日本精神というものを、言霊の観点から、理念言語学の観点から深く解読して、新生日本の柱としてゆかなければなりません。本当の意味において、和歌というものも、言霊という観点から伝統的に深い芸術性が認められたものであって、例えば、額田王の言霊には幸えが宿るといわれたり、また、柿本人麻呂であるとか、そうした方の言霊には、和歌には、深い威力が宿るといわれて尊ばれたのであります。

すなわち、言霊を真に深く発揚してゆき、尊重してゆく所から、新しい日本語が生まれ、新しい日本の伝統文化が生まれ、新しき日本の在り方が生まれてゆくのではないかということであります。

第三節  理念言語学の時代

~新しき大和魂の世界的開闢に向けて~

現代におきましても、新時代に向けて、様々な思想書や、真理の書や、哲学書、芸術書等、様々なものがありますが、そのようなものが、本当の意味で日本の理念たり得るかどうかは、この言霊があるかどうかということを深く探究してゆけば解かるのであります。

そして、その言霊を深く探究することによって、本当の日本の伝統的な精神というものを解読してゆくこと、忖度してゆくこと、解釈してゆくことが、新しき時代の理念言霊学となってゆくのであろうと思います。

この理念言語学の観点を、日本文化の観点から本当の意味において解読してゆくことは、日本固有の精神を本当の意味において世界的に開闢し、その固有の文化を世界的に普遍化してゆく源となってゆくものであります。

従って、私達は、言葉以前の理念としての言霊を尊重し、発見し、それが言葉となって三次元の現象界に現われ、文字となって現われたものを形として見、その形の奥に、永遠普遍なる理念の光を観じてゆくこと、それが、私達の日本人の日本魂というもの、大和魂というものを探究する姿勢の原点にあるものであります。

日本語そのものを深く洞察し、日本語の言霊によって表現されている文献を本当の意味において真読し、その真髄を解釈した時に、私達は、大和魂の本質というものを真に観ることが出来るのであります。それは吉田松陰の辞世の句であってもよいし、また、古事記の神話にある神々の和歌であってもよいし、また、日本国に天照大神が神勅を降したその天孫降臨の言霊であってもよいと思います。

そのような様々な歴史的な場面に登場した言霊を深く忖度し、解釈し、そして、ある面で、真心をもって感動し、そして、新しき日本の精神性というものを形成していっていただきたいと思います。そこから新しい日本文化が生まれ、新しい日本精神が生まれ、日本の新しい歴史が生まれてゆくのであると思います。以上

(天川貴之:JDR総合研究所代表・哲学者)

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