シューベルト:『美しき水車小屋の娘 』より「さすらい」

シューベルト:『美しき水車小屋の娘 D.795』より「さすらい」

        杉本 知瑛子(H.9、文・美(音楽)卒)
 ミュラーの最初の連作詩「旅する森の角笛吹きの遺稿・第1巻Gedichte aus den hinterlassenen Papieren einesreisenden WaldhornistenⅠ」(全25編の詩)は、1821年に出版されたものである。1823年にシューベルトは、このうち20曲に作曲した。これがシューベルト最初の連作歌曲「美しい水車小屋の娘Die schöne MüllerinD.795」(全20曲、1823年作曲)である。ちなみに「旅する森の角笛吹きの遺稿・第2巻Gedichte aus denhinterlassenen Papieren einesreisenden Waldhornisten Ⅱ」(全24編の詩)から作曲したのは、連作歌曲「冬の旅D.911」(全24曲、1828年完成)である
。この2つの連作歌曲の作品名はシューベルトが付けたものである。

*練習演奏公開予定:

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シューベルト『Das Wandern(さすらい)』(歌詞対訳:杉本知瑛子)

Das Wandern ist des Müllers Lust,
Das Wandern!
Das muß ein schlechter Müller sein,
Dem niemals fiel das Wandern ein,
Das Wandern.

旅(さすらい)は水車職人の喜び、
旅(さすらい)よ!
(粉ひきが)下手な職人に違いない、
旅(さすらい)さえ思い浮かばないのは、
旅(さすらい)よ。

Vom Wasser haben wir’s gelernt,
Vom Wasser!
Das hat nicht Rast bei Tag und Nacht,
Ist stets auf Wanderschaft bedacht,
Das Wasser.

私たちは水から さすらいを学んだ、
水から!
水は昼も夜も休むことなく、
いつもさすらいについて考えている、
水は。

Das sehn wir auch den Rädern ab,
Den Rädern!
Die gar nicht gerne stille stehn,
Die sich mein Tag nicht müde drehn,
Die Räder.

私たちは水車を見ても学ぶ、
水車よ!
水車はじっと止まっているのが嫌いで、
一日中疲れずに回転している、
水車は。

Die Steine selbst,so schwer sie sind,
Die Steine!
Sie tanzen mit den muntern Reihn
Und wollen gar noch schneller sein,
Die Steine.

石杵は、あんなに重たいのに、
石杵は!
元気に輪舞を踊り、
さらに速くなろうとする、
石杵は。

O Wandern,Wandern,meine Lust,
O Wandern!
Herr Meister und Frau Meisterin,
Laßt mich in Frieden weiter ziehn
Und wandern.

ああ 旅(さすらい)よ、旅(さすらい)よ、私の喜びよ、
ああ 旅(さすらい)よ!
親方と奥様、
僕を穏やかに先へ行かせてください
そして 旅(さすらい)よ。

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*『美しき水車小屋の娘』のプロット

1,この物語を知る前提:ヨーロッパ諸国には、中世の中ごろから同業組合が各種の職業について組織され、業者の利益を保護するために様々な制度をつくっていた。

そのうちの一つに製粉業がある。この連作歌曲は水車屋、今の製粉業を修行中の若者を主人公にしているが、製粉業で生きていこうとする若者は15歳ごろから、製粉業者のところで無給で働かせてもらう。この奉公の何年か後、主人から許可があれば遍歴(Wandern)にでる。これは方々の製粉業者のところに短期間ずつ滞在して経験を豊富にし、また顔を売るためである。この遍歴の何年か後に同業組合の幹部から試験をしてもらう。これにパスすれば一人前の水車屋の資格ができる。

このようにしてやたらに水車屋が増え同業間の競争が激しくなることを防いだ。この奉公(遍歴)の間に水車屋の娘と結婚し、娘の親から営業権を譲渡されたら特別の事情がない限り、一人前の水車屋と認められる。

この連作歌曲の物語では、一人の若者が何年かある水車場で仕事の見習いをした、そしてこれから遍歴の旅にでようとしている。ここから「1,Das Wandern(流浪:さすらい)」の歌になる。遍歴の旅の楽しさを思い、これからはどこへ行っても水車が止まらないのとおなじように、自分も休まないで働こうと決心し親方夫婦の行為に感謝して旅路につく。

水車場は川沿いにあるものであるから、この若者は仲間のものと一緒に小川に沿って放浪の旅をするのである。

2,歌曲集のあらすじ

希望に満ち溢れた粉挽き職人の若者が、新しい親方と職場を求めて旅に出る(1)。彼は小川に沿って歩き(2)、ある水車小屋に辿り着く(3)。そこの親方には美しい娘がいるし働き心地もよさそうである。こんな良いところへ案内してくれた小川にお礼を言う(4)、その水車場の親方にみとめられ、その上娘の愛を勝ち得たらたちまち一人前の職人になれるのだから若者たちはわき目も降らず働く。

明日は休みという前の夕方、若者たちは仕事を片付けて車座になって座る。この歌の主人公の若者は、他の仲間に比べると力も弱く働きが下手なように思い自信をなくしている。そこへ親方が娘を連れて出てきて「お前たちはなかなかよく働き感心だ」と言い、娘はやさしく一同に夜のあいさつをする。この若者も自信を取り戻す(5)。

この若者は娘の心が自分に傾くかどうかを早く知りたくてたまらない。それで仲良しの小川にしつこく尋ねる(6)。ここでこの若者は娘への愛を歌い、この思いを何とかして娘に伝えたいと思っていろいろなものに呼びかけるのである。また朝早く起きてわざわざ娘の窓に近づいて挨拶をしたりなどをする。その心が次の「朝の挨拶」で歌われている(7)(8)。小川のほとりに群がって咲く美しい青色の花は、愛する人の瞳と同じ色なので、それを娘の窓の下に植える(9)。ある日の夕方若者は娘と一緒に小川の辺にすわる。しかし若者は自分の心を打ち明けられない。思いが迫って涙を流す(10)。しかし若者は自分の心が通じたと思い、鳥、小川、水車に呼びかけてその歌を止めさせ、自分の歌う喜びの歌だけを響かせたいと願う(11)。自分の歌に伴奏するリュートに緑色のひもを付けて壁にかけて言う。自分の胸はあまりにいっぱいで、かえって歌が湧き出ない。リュートよ、しばらくそこに休んでいておくれ、娘はその緑色のリボンを欲しがって貰っていく。そして緑色ほど良い色はないとほめる(12)(13)。

ある日、口ひげ、あごひげのいかめしい堂々とした猟師が現れて、水車場の中をのぞく。若者はそれを追い払いたいと思う(14)。若者が心配した通り娘の心はその猟師に傾いているらしいので妬みに苦しむが、それを口に出すのは誇りが許さなかった(15)。若者は娘を恨み切れない。かつて娘を喜ばせた緑の色を愛して、これで自分の墓を飾ってくれという(16)。しかし同時に緑は憎らしい色である。緑色のものは皆この世から消えろと嘆く(17)。

若者はこの世にいるのがいやになった。かつて娘がくれた花を取り出して、自分が死んだらこれを墓の中に埋めてくれ、あの娘が自分の心の誠を悟る日はその花にとっては春の日で、もう一度色も香りもよみがえり美しく咲くだろうとつぶやく(18)。

若者と小川との対話。若者は古いともだちの小川に嘆き疲れ、他人に見られたくない自分の身と心を託す。小川はそれをやさしく受け入れる。若者は自分を眠らせる歌を歌ってくれと頼む。そして小川に身を投げる(19)。小川はいつまでもやさしく子守唄を歌い続ける。森に響く猟師のホルンの音はせせらぎで音を消そう、幸せな夢路を破る青い花は近づけない。眠れ、眠れ、末永く、喜びも悲しみも打ち捨てて 霧は晴れて月は冴える(20)。

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《参考:杉本知瑛子著「シューベルト~その深淵なる歌曲の世界1-①」

シューベルトの歌曲集には、1823年の作品「連歌集“詩物語”としての『美しき水車小屋の娘』(D.795)」『Die schöne Müllerin』と死の前年1827年の作品『冬の旅』がある。

*死の年・1828年にシューベルトの死後遺品の中から発見された数々のリートが二分冊に編集され、『白鳥の歌』(D.957)『Schwanengesang』のタイトルをつけて出版された歌曲集もある。

ギリシア時代の昔から「詩人は神の声を書いている」といわれ、神の声を聞く者は預言者であり、あるいは又狂人であるという考え方が信仰されていた。

音楽家もまた預言者(天才)であり狂人であると考えられ易いが(昔、詩は音楽の一種であった)、シューベルトもそのように考えられていた、といっても過言ではないであろう。
シューベルトの短期間(約15年間の作曲期間)における1.000曲にも及ぶ作品量、そしてベートーヴェンなどに比べて作品の下書きが残存していない、ということなどから、彼の天才性からくる無造作な作曲態度という誤解が生まれ、さらに『冬の旅』などの死と諦念をテーマにした、一連の陰鬱な歌曲などから彼の精神異常が考えられ、その原因として長年彼を苦しめてきた病気が考えられてきたのである。

全文はこちら:シューベルト~その深遠なる歌曲の世界~1-①

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《参考:雑》

当時、この物語の元となったパイジェッロのオペラ・ブッファ《ラ・モリナーラ(邪魔の入った恋、または水車小屋の娘)》(1788)が、ドイツとオーストリアで“Die schöne Müllerin”(この歌曲集と同じタイトル)と題されて上演され、非常に人気であった。

ゲーテもこのオペラに惹かれ、ベートーヴェンにいたってもアリアを元にして2曲も作品を書いている。

さて、このような題材を、ベルリンの枢密顧問官、シュテーゲマンが自身のサロンでも取り上げることを望み、《水車屋の娘ローゼ》(1817)という歌芝居を仲間たちと演じた。

その中に、詩人ミュラー(1794 – 1827)もいたのである。

彼の名前(Müller)は、ドイツ語で「粉屋」という意味もあることから、彼が粉挽き職人の若者の役を演じることになった。

この劇では各自が、自身の役が歌う詩を書いた。
ミュラーはそこで詠んだ詩を様々な雑誌に発表した後、『旅するホルン吹きの遺稿集』(1821)と題して出版した。

シューベルトは1823年までにはこの詩集を手に入れ、10月から11月の間に、プロローグ、エピローグ、それに3篇の詩を省いた20編の詩に作曲したのである。

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写真:八木規夫氏撮影「滝」より抜粋(「熊野観察日記」より)

 

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