杉本22)「慶應福澤研究センター講座『福翁自伝』を多角的に読む」受講記②・6号

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                            杉本 知瑛子(H.9、文・美卒)

2013年1月19日(土)の第4回講座は、小川原 正道(慶応義塾大学法学部准教授)先生の

“「老余の半生」の「大笑いな珍事」~明治十四年の政変をめぐって~”であった。

お話は以下のようにすすめられた。

◎『福翁自伝』の「不可解」な構成-「老余の半生」をめぐって

◎「明治」という時代の啓蒙思想家としての成功と政治思想家としての挫折

◎「大笑いな珍事」(自伝)と「明治辛巳紀事」(秘録=9ページ分のコピー)の叙述

◎ 明治十四年の政変がもたらしたもの①(コピーの参考資料)-明治国家構想の観点から→

→明治憲法に対する冷たい視線(コピーの参考資料)

◎ 明治十四年の政変がもたらしたもの②-福澤諭吉・慶応義塾の観点から→

→閉ざされた政界・官界への道と開かれたジャーナリズム・財界への道

◎ 近現代日本史における明治十四年政変の意味-高橋誠一郎文部大臣の述懐→

→「慶応義塾に学び、慶応義塾を卒え、慶応義塾に教鞭を執っておりました私は今、

この学塾が永年主張し来つた独立自尊主義の教育を実際に施すべき時期の到来した

ことを確信」(高橋誠一郎「独立自尊主義」-就任のあいさつ」(『文部時報』第837号、

昭和22年2月)

講座終了後、出入り口近くの机の上にたくさんの本が置いてあった。

1、『慶応義塾創立150年記念パーフェクトガイド』(講談社)

2、『月刊財界人 2月号保存版』(政経通信社)

慶応義塾創立150年特別記念号~その足跡と未来への先導~

3、『学問のすすめ21』〔慶応義塾創立150年ブックレット〕(慶応義塾発行)Vol.1~

1、の『~パーフェクトガイド』は240ページからなる慶応のガイドブックであった。

慶応150年の全貌、福澤諭吉の理念と素顔、華麗なる慶応人脈から「大学力」、三田会まで

慶応に関する徹底ガイドブックである。

3、は一冊60数ページから100ページくらいの小さい本の数々であった。

『学問のすすめ21』の最後のページの見開きに下記のような記載文があった。

_____________________________________

活用なき学問は無学に等し

    『学問のすすめ』十二編より

21世紀の現代社会が抱えるさまざまな問題や課題を中心に多彩なテーマでおくる、

慶応義塾の教員と塾員(卒業生)による講演会シリーズ「学問のすすめ21」。

ひとつのテーマに複数の視点から光を当て、いろいろな考えに触れていただくことによって、

皆さまの新たな「発見」を喚起し、「多事争論」の間に生まれる「自由の気風」と「学び」の

楽しさを実感していただきたいと考えます。

__________________________________________

これらの本は一冊ずつが一つのテーマで構成されている。そのため本の数は相当であった。

講座終了後、これら全ての本を希望者に無償でいただけた。(各自自由に取りに行く)

ボーッとしていたら、山根昭郎さんが「もらっておいたほうがいい」と助言をくださった。

それでとりあえずと、あった本全て一冊ずつ頂いたが相当な量と重さである。

なんとか家までたどり着き、ペラペラと何気なく本を眺めて驚いた。

慶応について知りたかったこと、福澤諭吉について知りたかったこと、

まさしく150年記念に相応しくパーフェクトガイドである。

それで小冊子の『学問のすすめ21』もパラパラ・パラパラと急いで目を通した。

それらは各地で開かれた「創立150年記念講演会」の記録であった。

一冊ずつがひとつのテーマで、話言葉そのままであるから極めて分かり易い。

何と貴重な本(貴重な資料)をこのようにたくさんいただけたのか、山根さんの助言がなければ

素通りしていたに違いない。(と確信を持っていえる)

このような資料を手に入れるチャンスは二度と考えられない。本当にありがたい声賭けであった。

興奮冷めやらぬまま“『学問のすすめ21』異端が開く未来~大阪近代化の幕開けと福澤諭吉~”

を読んでいた。

その中のパネルディスカッション「大阪スピリッツ、ここに在り」のところで、松下正幸氏が

幸之助氏の話をされている文に出くわした。(2008年9月20日ABCホールにて)

松下電器の創業者幸之助氏は“経営の神様”として、その話は私の声楽の師である中川牧三先生からよく聞かされていた。

幸之助氏と先生はご親友だったそうで、幸之助氏はご生前松下電器の売り上げを業界No.1にするための方策などを、雑談時によく先生に話されていたそうである。

(幸之助氏とのご関係で先生は、幸之助氏の死後も松下電器の音楽顧問をしておられた。顧問といっても年に1回の松下電器本社の音楽祭に出席されるだけだったそうであるが。)

その方策とは?

「白物家電の場合新製品を一番に売り出さないこと」だそうである。電機業界では新製品の開発には各社がしのぎを削って研究し、少しでも早く売り出そうと競争している。松下電器はいつも開発では一番であったらしい。しかし、商品売り出しは二番目だったそうである。

なぜか?・・一番に市場に出た商品の値段や品質等の調査とその商品を買う主婦層への調査である。今ならインターネットで簡単に出来る調査だが、当時はそこまで考える経営者はいなかったのであろう。値段、品質、デザイン等商品への不満や要望など、購入者の要求を満たす商品に自社製品を改良して、使う人の側にたった商品を売り出されたそうである。そうするためには2番目でなければならなかったのである。これで大々的に宣伝をして業界トップとなられたそうである。

話は戻るが、この本(松下正幸氏の話)には幸之助氏の考えた経営理念としてその中核をなす三つの要素「社会の公器」「お客様第一」「日に新た」が述べられている。

「~この経営理念は、幸之助が一から考えたということでは必ずしもなくて、その源流は、近江商人また大阪商人がずっと長い年月をかけて磨きぬいた考え方です。幸之助はこういう考え方を丁稚時代に頭で学んだというよりは体で学びました。それを幸之助が自ら経営者として色々やっていく中でブラッシュアップした、あるいは幸之助なりの表現に変えていったということではないか~」

今はコンピューターと世界相手の値引き合戦の時代。しかし現代でも、日本のブランド米が高額であっても飛ぶように売れていることを考えれば、幸之助氏の商法の「お客様第一」も「日に新た」もまさに福澤先生の「実学」そのものであったことがよく分かる。

~活用なき学問は無学に等し(『学問のすすめ』十二編より)~     (終わり)

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