白石11)雑文集(4)「当たり前!」は「当たり前?」・・・23号
「当たり前!」は「当たり前?」
白石 常介(81、商 卒)
(台湾三田会顧問:前副会長)
今まで当たり前であると思い何も疑問に思わなかったことであっても、あるときちょっとだけ角度を変えて見てみると、“あれっ!?”、まったく別の視野が開けることがある。
例えば地位が上がるに従い“上から目線”も必要になる。
“えっ、じゃあ威張ってもいいの?”いや、そうではない。
上から目線の本質は、より上位から物事を大局的に捕えるため、部下をうまくまとめるため、などなど、見方の異なる重要な対応が増加するからである。
その意味するところは、他人を上から見下(く)だして威張ってもよいということではない。各職位の担当者のたゆまぬ努力があるからこそ堅固な組織ができあがるのである。
そしてその進むべき方向性を皆が共有できるようにうまく導いていくのが上に立つ者の使命なのだ。
「ていうことはだ、Sweetie、あるときは上から目線のみじゃあなくってさあ、いわゆる“同等目線”ってのも必要なんだよな。
例えばだぜ、一般的に忠実だって言われてる俺たちと向き合うときなんか、通常は立ってて上から俺たちを見下(お)ろしてるよなあ、位置的に。
でも俺たちワンちゃんの側に立てばさあ、いっつも上から見下ろされてるようで威圧感を覚えるぜ。たとえ相手が仲良くしようとしててもだ」
「そうだよね、Cherrie。だからもし立ったままじゃあなくて座って同じ目線で話しかけられたら、こっちだってより親密な感じを持つようになると思うよ。いや、きっとそうだよ」
「その通りでござんす。だってさあ、言葉そのものは通じなくっても、お互いの目をじっと見れば心は通い合えるものなんだぜ。ほらっ、この目、この目!」
「...」
さらに、“下から目線”も必要かもしれない。
例えば休日に道路の側溝を掘り進む仕事をしたとする、しかも真夏の炎天下で。
目の前を、いや、目線の上方を見知らぬ一般人が足早に通り過ぎて行く。彼ら(彼女ら)にしてみれば工事の人を位置的に見下ろしているわけある。そ~なんです。通行人はただ単に上からその人を見下ろしているだけなのであるが、しかし、上から見下ろしているとそれだけで優越感を覚えることもある...人間は。
一方、工事の人にしてみれば、手ぬぐいを首に巻きTシャツ姿で汗水流して炎天下に力仕事をしているのであるから、他人のことを気にかける余裕などないはずである。しかし、上から見下ろされると、それだけで劣等感を覚えるかもしれない。つまり、自分たちを見下だしているのではと思い違いをすることがあるかもしれない。
「分かってるつもりでもついついやっちゃうことだけどさあ、人の立ち位置だとか外見のみで相手を判断すべきじゃあねえよな、Sweetie」
「そうなんだ、Cherrie。例えば上から下を見ている光景を思い出してみるといいよね。
“自分は常にきちんとした服を着て夏でも冷房の効いているオフィスで平然と仕事をしていてそれが当たり前なのに、この工事の人たちときたら...” 何てね。
でも悲しいかな、人の性(さが)ってそういうものなのかもね、僕たちには分からないけど」
「だったらさあ、いつもの光景を逆に下から見上げてみたら、また違った見方が出てくるんじゃねえの。
“あっ、パンツ見~えたっ” えっ、いやいや、おっほん、え~っ、つまり、自分がそれこそ汗水流し仕事をして、暑さ、いや、熱さと戦っているまさにそのときに、その脇を声をかけることもなくただただ無言で通り過ぎて行ってしまうのを見てどう思うかだ。
悲観する必要なんか全然ねえんだけどさあ、”こんな大変な仕事をしているのに、まったく無視されて何だかバカにされているようで...” って感じることってたぶんあるんじゃあねえのかなあ」
「そうだね。だからもし炎天下での工事のような大変な仕事を体験をすることができれば、次に自分が通行人の立場になったとき、“暑いでしょう、大変ですね。ご苦労様” ってねぎらいの言葉が自然に出てくるんだよ、たぶんね」
「なぜって相手の立場が良く分かってるからだな、経験的に」
「そう」
どんな仕事も大変である。それぞれが、それぞれの立場で、それぞれの状況で、一生懸命頑張っている。
学生のうちにしっかり勉強し、社会人になってしっかり仕事をし、退職後にゆっくりと人生を謳歌する者もいる。
一方、学生のうちは先に人生を謳歌し、社会人になって自我に目覚め必死に仕事をする者もいる。
人生のバイオリズムは人により異なるが、それでよいのだ。
みんながまったく同じ考えの基で、まったく同じ仕事を、まったく同じスピードで行(おこな)ったとしたらどうだろうか。そこには進歩も革新もない、足を引っ張り合うだけのただのドロドロした競争社会になってしまう。
だからこそいろいろな仕事があり、いろいろな考えを持った人がいて、いろいろな対応をし、いろいろな失敗を繰り返しながら成長していくのである。
どのような仕事でもさげすんでバカにしてはいけない。目立ちたがり屋が目立つ事のみを選んで仕事をし、偉そうに振る舞う...情けないことだ。
目に見えないことも含めていろいろな仕事があり、みんなが頑張っているからこそ社会が成り立っている。このことを決して忘れてはならない。
「Sweetie、昼間一生懸命働いて圧力がたまりにたまってしまってさあ、“どっかでめちゃくちゃストレスを発散してえ!!!” って思っている人って絶対いるよなあ。
そこでだ、その一つの場所として、夜、水商売のお店の扉を開けに行ったとする。“おねいさん、おこんばんは”...おいおいっ、そんなうらやましそうな目で見るなよ、俺恥ずかしいじゃあねえか。
再びそこでだ、よく “水商売” ってバカにする人がいるけどさあ、だったらお店の人、つまり相手の立場に立ってみい、って言いてえよ。いかに大変なことをしているのかをわかってもらいてえからな」
「そうだよね、Cherrie。昼間大変な思いをして働いても、明日もまた同様に働き続けなければならない。どこかで息抜きしなければ参ってしまう。そういう人を相手にストレスのはけ口になって優しく受け止めてくれるんだものね」
「“よ~し、ストレスが飛んでったぞ、ありがとう。明日も頑張るからね。また来るよ” な~んて気持ちにさせてくれたら最高だもんな。俺様毎日通うぜ」
「Cherrie、君の場合に限っては毎日通わなくてもいいと思うけど、ストレスとは無関係だから...。
でもそうだよね。そこで働いている人たちは、現代の社会で活躍している人たちを陰で支えて社会に貢献しているんだものね」
ところで...大地を耕す人はほんとに力強い!
スーツを着て出社し、デスクワークを中心にクーラーのきいた涼しい会議室などで規定と実務の間のギャップを説明し、自己満足する。そのこと自体が悪いと言っているわけではない。
しかし、農業に携わる人たちと一緒に仕事をするようになると、根本的に考え方も変わってくる。
「規定だぁ? そんなの知るか!そんなことよりまず足元の土をいじってみい。どんな感触がある?それが集まって大地になり我々を潤してくれるんだぜ。だから逆らっちゃあいけねえ、一緒に共存していくんだ。だってそうだろ。自然には勝てねえ。災害には勝てねえ。だったらそれを恨むんじゃあなくって仲良くやっていく方法を見つけていきゃあいいんだ。
今日は停電でパソコンが使えねえだと?お天道様が登ったら目を覚まして仕事に行って、沈んだら家に帰ってくりゃあいいんだよ。電気が無けりゃあ不便だと?おめえたちは本来の生活の知恵を忘れちまって、何でもかんでも文明の利器に頼ってるんだ。じゃあ突然大震災が来てそれらが使えなくなったらどうする?もうちっと頭を使って考えてみろ。夜、明かりが無くって暗いから机に向かっても何もできねえだと?だったら外に出て夜空をじっと見てみい、何が見える?あちこちに明かりの束があったから見えなかった星たちがうれしそうに輝いてるぜ。黙って少し佇んで会話してみい、瞳の奥から、心の底から...いいもんだぜ。
パソコンが無くっても人間生きられるけど、農産物が無かったら生きていけねえんだぜ。
世の中、物質的に便利になればなるほど、精神的に不便になるんだ。分かるか、言いてえことが...」
最近、農業支援プロジェクトをお手伝いしている。
下記写真はまず1級品(良品)と2級品(不良品)の原体。それを乾燥したものが右の写真。
乾燥品は右より1級品、真ん中と左が2級品。言われてもまったく区別がつかない!
当プロジェクトの大きな目的(ミッション)、それは農家の方々への無限の支援。
汗水流して苦労して大地を耕す方々へのご褒美。
ほとんど無価値同然に見られていた2級品(不良品)がここまでになるとはうれしい限りである。
でも実は、ほんとうはそれ自体2級品(不良品)ではない。外見で簡単に判断されてしまっているだけなのだ。
世の中、勉強ができないだけで ”人間不良品” のレッテルを貼られ、肩身が狭い思いをするかまたは社会に反抗するか、それしか生き残る術(すべ)がない...のが現実。
それではいけない。優れたフィルターを通して大化けすることは何も難しい事ではない。
しかしそのフィルターを創ってしまうと、幼少時から遊ぶのも我慢し勉強のみしてエリート然としている既得権者を根底から揺るがしかねないことにもなるため、わざと何もしない。情けない社会。
当プロジェクトは、実は...既存の弊害に風穴を開ける役目も兼ねているのである。
政治然り、経済然り、自分を中心に他を見下だしてばかりではいけない。
自己の足をしっかりと地につけ、自己の足元をじっくりと見つめながら、謙虚に相手を思う...今の世の中に少し欠けているのではないだろうか。
何だかまとまりが無くなってしまいましたが、最後に3編の詞をつづってみました。
何か少しでもお役に立てれば幸いです。
< 大地の恵み >
人はみな土から生まれ 偉大な大地に根をおろし 自然とともに同居する
生き物たちもみな同じ
他人の園を踏みにじる 怒り出すのは当たり前
自然の園を踏みにじる 怒り出すのは当たり前
みんなで聞き耳立ててごらん 自然破壊の怒りの声を
人はみな土から生まれ ふる里の地をこの手で耕し 生きるための糧(かて)を造る
泥んこの手を仰ぎ見ながら よ~し 今年も豊作だ
毎日書類とにらめっこ 頭脳を酷使 ストレス山積
毎日大地とおにごっこ 体を酷使 ストレス霧散
体は一生忘れない いい汗流す この感覚を
そしていつか土に戻る またずっと長~い付き合い
人と自然の会話は続く いつまでも尽きることなく
いつまでも いつまでも...
< 幸せはいつも足元に >
空飛ぶエンジンに乗った しばらくは下界とおさらば 一瞬で天上に到着さ
見よ けがれのないこの白と青
見よ 白い雲海 青い天空
でも 目を凝らしてよく見ると 下の白は少~しでこぼこ
見よ 下界人と天上人 この境はいったい何なんだ
君にははっきり見えるかい? そうかそうか見えるのか
僕にははっきり見えないよ 小雨に煙る山すそさ ぼんやりとしか見えないんだよ
実は そこは境目なんだ 現実と そして 非現実のね
ストレスがたまると それはくっきり浮かんで見える
もがいてもがいてそれを乗り越え 一歩でも上に行きたいのさ
君もほんとに大変だね
いつも上ばっかり見ているだろ だから首が痛くなるんだよ
えっ じゃあどうしたらいいかって?
な~に そんなの簡単さ
そこで逆立ちしてごらん 上と下が反対だろ?
地位も富も名誉もみんな 何もかもが反対なのさ
世の中おかしく見えてくるよ
“おはよう 社長くん 昨日の君のトイレ掃除きれいだったよ ありがとう” なんてね
幸せはいつも足元に 頑張ってうまく拾ってね
< 人生の花火 >
俺たちまさに筒の中 真っ暗闇の筒の中 みんなが待ちに待っている
そろそろ火薬がうなり始め シューッ アチャチャチャ ドッカ~ン
大空高く舞い上がり 一気に夜空に華開く
俺たち一瞬スター気取り あっという間の晴れ舞台
注目されつつ虚しく散って 最期はやっぱり大地に戻る
若者たちには五尺玉 年配者には線香花火
一瞬の光 一瞬の出会い 瞳に映り 耳をくすぐる
この一瞬その一瞬 ずっしり心に響きわたる
正(まさ)に はかない 瞬時の想い出
俺たち一体 何者なんだ?
俺たち一体 どこから来たんだ?
俺たち一体 どこに行くんだ?
俺たち花火 人生そのもの
時が長いか短いかだけ
だったら人生 楽しまなくっちゃ!