奥村13)私の好きな諭吉の文章(13)・・・35号

「私の好きな諭吉の文章」(番外編) 

奥村一彦(80年経済卒)

この8月5日から長野県に行きました。いろいろ巡りましたが、なんと言っても最初は、福澤諭吉のルーツ探訪から出発しました。

富田正文さんの「考証 福澤諭吉」(上)によりますと、長野県の福澤地名は11箇所にのぼるとのことです。そのうち今回、それに挙げられている8番目の更級郡村上村(旧住所。現在は坂城町網掛)の「福泉寺」を訪問しました。

自宅近くの京都バス午前6時4分発に乗り、京都駅に出て、東京まで東海道新幹線、北陸新幹線に乗り継ぎ「上田駅」に午前10時56分に着きました。そこからは慶應大学時代のゼミの先輩の車であちこち巡りました。

「福泉寺」は曹洞宗のお寺です。「飯綱山福泉寺」といいます。何故このお寺を訪問したかといいますと、お寺自身が福澤諭吉ゆかりの寺と道路に札を貼り出しているからです。事前にその情報を得ていたので、訪問することにしたのです。アポも取らないいきなりの訪問でしたので、お盆関連行事の準備中であった住職さんには大変ご迷惑であったろうと察します。住職さんはもちろん福澤ファンで、快く対応して頂き、早速、地元で発行した新書版の本を持って来て、そのうちの「信州福澤考」という題名の富田正文さんの講演記録の箇所を示され、福澤のルーツは長野であることを熱く語られました。ただ、富田さんも言われているとおり、近辺には11箇所の福沢という地名があり(今ではその地名の大半が消滅しています)、坂城町(さかきちょう)網掛が確かなルーツであるとは断定できないとのことでした。おもしろかったのは坂城町の町長さんが慶應大学出身で、富士通におられたあと、町長になられて、町のホームページで坂城町は福澤諭吉のルーツであるとの独自のブログを公開しているということでした。帰宅してから町長山村ひろしさんの町営ホームページを見ました。掲載情報は2013年とやや古いのですが、「坂城の100人」としてその6番目に福澤諭吉が語られています。その中で「中世信濃の福沢氏といえば村上一族の福沢氏であることは明白です」と強気です。

また、住職さんの話で、富田正文さんは現在高齢で療養しておられるとの情報もありました。住職さんは、福澤諭吉がお寺には冷たい人だったので、自分は立場が苦しいとの心情も吐露されました。いきなりの訪問で、事前準備が少なく、反省しています。

ルーツを探る行為で、非常に重要な経験をしました。やはり足を使って人と会うことは大切だということです。出かけていって人と会い、話しを聞き、それから本格的に調べるという実践をしたことです。福澤諭吉が『福澤全集緒言』の中の「会議弁」に、明治7年6月7日集会での演説原稿を載せていますが、「いったい、学問の趣意はほんを読むばかりではなく、第一がはなし、次には、ものごとを見たりきいたり、次には道理を考え、其次に書を読むと云ふくらゐのことでございます」『福沢全集緒言 会議弁』)、これが人間の思考の実際の道筋であることを実感しました。まずは出かけて行って人と話しをする、これが一等最初に重要だということです。そういえば『西洋旅案内』でも、友が来るのを待つばかりでなく、たまにはこちらから出かけて行こうよと呼びかけているのも至言だなあと深く思った次第です。

 「福泉寺」 

                                                                   以上

                                                (奥村一彦:弁護士、京都第一法律事務所)  

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