奥村一彦(47号):私の好きな諭吉の文章(25)

     「私の好きな諭吉の文章」(25) 

                                奥村一彦(80年経済卒)

 

(前回の続き)

Ⅴ 文字が読めない人々が多くいるときは、それらの人々は、誰かの話を聞いて知識を獲得する。話した人と聞いた人との間には、共通の言語で、共通の何らかの理解が通じ合ったということになる。しかし、それは言葉を発した人の意図とは違う、すなわち受けとめ側が理解したものが共通になるのである。それが、言葉が、私的世界から公的世界に変貌を遂げた言葉というものである。

そこに、人と人とのつながりが生じるのである。すなわち公的な意味を持つ言語でのつながりである。まずここが重要で、心(頭)の中にしまってある思考が、脳からの命令で口や喉の筋肉を使って、空気中に発せられ、それが空気の振動で他人の耳に到達し、その他人の脳内で言語化されて、共通のものになるということである。これが社会を構成する基本である。

 

Ⅵ しかし、その作用はそれだけではなく、言語である以上、一定の知性を備えている人々が想定されているはずである。もちろん人間には成長の過程があるから、一定の年齢に達していれば、一定の知性を獲得している。それがもっと拡がって、多くの人とのコミュニケーションが無数の網の目のように拡大してゆけば、その中にいる人々はさらなる知性を獲得していくことになるのである。

 

Ⅶ 以上を前提として、福沢諭吉は封建社会から近代社会を生きた人で、人間関係が封建社会の上下(縦)関係意識から近代社会の水平(横)関係意識に変革されなければならないことを深く自覚した人である。

封建社会の上下関係は、目に見えない強制力が働き(根本的には教育の力によるものであろう)、身分の上下が固定化されてしまっている社会であるが、そのような身分の上下を基礎づける目に見えない強制力が根拠のないものであると理解したとたん、すべてが違った世界となるのである。

そして、上下関係で維持してきた社会関係が崩れ、今度は言語が人々の共通のつながりの道具となり、言語によって横の関係でつながる社会を形成するしかなくなるのである。すなわち言語が唯一の人間関係を規定する社会となるのである。

 

Ⅷ 言語にはさらなる効用がある。上では、言語が人々を知性化する効用、人々が繋がるための必須の手段となる効用を述べたが、さらに公的社会に置いて人々がそれに則って生活する共通の規範を形成する効用である。

すなわち、言語が発せられず、皆が私的な考えだけで生活しているとする。そうすると各個人は私的な規範あるいは正義感をもって生活することになるが、ひとりで世界に生きている訳では無い以上、他人と衝突することは避けられない。そこで、白黒の決着をつけようとすれば、自分だけが正義である2人が争うと、それは暴力以外には解決方法がなくなる。なぜなら自分だけが正義なのであるから。相手の不正義は殲滅されなければならない。

しかし、言語によるならば、違う社会を作る。俺が正しいかお前が正しいか、その正しさを他人に判定してもらうことになるからである。すなわちその社会の規範は、多くの人々の言語活動の中で、共通の、すなわち最低のコンセンサスが得られている社会であるから、そのコンセンサスに則ってひとりひとりの私的正義が矯正される作用をもたらすからである。あるいは、私的正義が発せられて、公的に承認を得ていたはずの公的正義が修正されることもあであろう。しかし、いずれにしても公的場面にそれが持ち出されて始めて吟味されるという過程を経なければ進化はない。

 

Ⅸ 私は福沢諭吉の『通俗民権論』に関心を持っている。そこではふたつの重要なことが書かれており、今でも私たちの社会には必要な提言と考えている。

ひとつは、路上の犬の糞を避けて通るか、掃除するかの問題で、嫌なことは避けないで、正面から立ち向かえと提言していることである。不満を抱えていてはいつまで経っても私的正義で物事の決着を図ろうとしてしまう。しかし、「出訴公論」に及べば、公的正義で議論が可能となり、また、社会の規範を形成するだろうと提言しているのである。

もうひとつは、民権を唱える人の生活ぶりを嘆くというか、身なりを整えろという提言である。演説する人は、公的場所で発言するのであるから、一定の経費を用いて身なりを整えることが最低条件となるという意味である。福沢は信頼に必要と説いている。

いずれも資本主義社会における公的社会の形成に必要な行動と個人の資質を要求している場面である。

次回以降、もっと深める予定である。

 

(続く)

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